李秀連は俳優に転向した理由について「(警護の仕事は)未来の予測が可能だったし、それがあまりにも面白くなかった」と話した。続けて「いろいろの人生を生きてみたいという考えをするようになり33才で10年働いた青瓦台に辞表を出した」として「どうせ一度生きる人生でやりたいことを一度やってみるのだという考えもあった」と話した。
彼女は「両親も止めたし、特に女性警護官の後輩たちが『先輩は第1期生なのだから、私たちにずっと先輩の歩んで行く姿を見せてほしい』とも言われた」としながら「後輩たちが私の家の玄関ドアの前にメモ、手紙を書いておいたりしたこともあり、あれはかなり記憶に残る」と話した。それと共に「周辺のすべての引き止めを振り切ってそのように俳優を始めた」と話した。
李秀連は「私がどんな俳優にならなければならないのか?」「私が私の人生でどんな監督にならなければならないのか?」「私が私の人生をどのように書いていくのか?」などの悩みを日々に続けていると話した。
それと共に「どうせこの世に生まれて一度だけ生きるなら、価値があって、かっこよく、ドキドキしながら、他の人のために良いことをたくさんするのが私の人生の最大の目標」と付け加えた。(朝鮮日報ベース)
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