どの時代でも人の心を魅了する「アイドル」、実は江戸時代にも存在していました。メルマガ『歴史時代作家 早見俊の無料メルマガ』著者の早見俊さんは、スターとなった一人の少女とそのライバル、そして突然失踪した事件の真実を語っています。
江戸のアイドルはなぜ消えたのか?
江戸中の男を虜にしたアイドルがいました。
笠森お仙です。谷中の笠森稲荷の境内に鍵屋という水茶屋があり、お仙はその看板娘でした。水茶屋とは寺社の境内や門前に構えられたお茶や菓子を提供する店、現代の喫茶店です。
水茶屋では見目麗しき娘が接客をしました。従いまして、看板娘の人気が店の売上に直結していたのです。そんな看板娘の中でもお仙は抜群の人気、現代のアイドルのような存在でした。
お仙は1751年鍵屋の主人五兵衛の娘とし生まれ、数え十三で茶汲みとして働きに出ます。十八の娘盛りには輝くばかりの美人となり、浮世絵師鈴木春信の目に留まりました。
春信は美人画で評判の絵師でした。春信が描いたお仙の錦絵は飛ぶように売れます。当然、絵を見てぼっとなった男たちは生のお仙を一目見ようと鍵屋に押しかけました。
お陰で鍵屋は大繁盛です。お仙人気は留まるところを知らず、錦絵ばかりか瓦版の記事にも取り上げられ、更には絵草紙や双六、手拭の絵柄、人形にもなりました。まさしくお仙関連グッズですね。更には、お仙人気を当て込んだ歌舞伎も上演されます。
現代のアイドルもびっくりのスターお仙でしたが、やがて強力なライバルが現れました。浅草寺境内にある楊枝屋の娘、お藤です。お藤は店の周辺に銀杏の木があったことから銀杏娘と呼ばれ、お仙と同じく鈴木春信に錦絵に描かれて人気者となります。
二人は火花を散らすことになりました。浅草寺の本尊である観音様の御開帳に合わせ、お仙は境内で団子を売ります。境内はお仙とお藤会いたさの男たちで一杯となりました。観音見物どころではありませんでしたが、浅草寺の賽銭箱も潤い、境内にある多くの店にも銭が落ちました。
江戸中の男たちの憧れとなったお仙でしたが、二十歳のある日、突如として姿を消してしまいます。お仙は何処へ行ったのか、男たちは騒然となり、瓦版は様々な憶測記事を書き立てました。中には父親に殺されたという物騒な記事もありました。お仙には一緒になりたい男がいたが、父親は反対、駆け落ちをしようとしたお仙を父親が殺したというのです。