現代であれば、朝から晩までワイドショーが特集番組を編成し、騒ぎ立てたでしょう。警察OB、心理カウンセラー、看板娘評論家の諸氏が訳知り顔で意見を言い立てるに違いありません。
SNSも賑わせているでしょう。無責任な目撃談が語られ、憶測と疑心暗鬼で真実から遠ざかり、陰謀論がまかり通るのでは……
お仙は幕府の重要機密を知ってしまったが為に公儀御庭番によって消された。
お仙は幕府転覆を企む闇の勢力の勢力が将軍の側室に送り込もうとした女忍者だった……
そんな突拍子もない噂話が流れ、一時的に大盛り上がりはしますが、人の噂も七十五日、程なくして次に人々の耳目を集める人物や事件が起きると忘れ去られる、というパターンです。
さて、真相はというと……。
今日の陰謀論に登場するのは、ネオナチ、CIA、ロスチャイルド、軍産複合体などですが、江戸時代の日本なら公儀御庭番は欠かせなかったと想像されます。
実はお仙失踪は公儀御庭番が関係していたのです。
笹森稲荷は公儀に庭番であった旗本、倉地正之助が地主でした。
お仙は倉地に見初められ、妻となったのです。御庭番は将軍直属の諜報活動を行う役職、結婚は表沙汰にできなかったのでした。幕府転覆、大名の御家騒動とは無関係でしたが、お仙は御庭番と深い関係になったのでした。
お仙は政之助との間に九人の子宝に恵まれ、七十七歳の天寿をまっとうしました。錦絵に描かれたお仙は柳腰ですが、旗本の妻という玉の輿に乗ったのでした。
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