『週刊新潮』が報じたサッカー日本代表・伊東純也(30、仏スタッド・ランス所属)の性加害問題。23年6月20日に大阪で行われた日本代表VSペルー代表戦の翌日未明、知り合いに誘われて出向いた試合後の飲み会の席で伊東に紹介された2人の女性が、断る間もなく連れて行かれた高級ホテルで伊東と彼のトレーナーから性被害を受けたとして、1月18日に刑事告訴し大阪府警が受理したという内容だった。
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この件を受け、元宮崎県知事で衆院議員も務めたタレントの東国原英夫氏(66)が5日に自身のユーチューブチャンネルを更新。今回の性加害報道が「仮に伊藤選手側が、言い分が正しい、虚偽告訴罪等々でこの、相手方に有罪判決する等々がでた場合は、これは大変なことになりますよね」とした上で、報道による伊東の日本代表離脱が、2月3日のチームのアジアカップ準々決勝敗退に与えた影響を考察するとともに、「あるいは証拠がなくても著名人からの性加害やハラスメント等を週刊誌で訴えれば、信用を失墜させてしまう、いわゆる名誉毀損」との考えを語った。
さらに「飲み会」に対する認識として、「我々も若い頃もですね、いろんなですね、合コンとかパーティだとか、そういうの正直ですね、ワイワイガヤガヤやりましたよ」とコメントした上で、「異性等々のこういう飲み会とかコンパとかいうのは、まあ細心の注意が必要だという、そういう時代になってきたんですね。いやーほんとここ数年10年かな、ほんと社会が変わって来ましたね」と発言し、「時代は本当に目まぐるしく変わっているなと、時代の価値観とか、そういったものは変わっているなっていうのを痛感しますね。はぁー、うわっー、はぁー」と12分43秒に渡る動画を締めくくった。
しかしこの東国原氏の動画での主張に関して、ネット上には批判的な感想が多数投稿される事態に。
《なんかズレてるんだよな》
《価値観が変わっただけって、本気でそう思ってるのかね》
《時代のせいにしているところに違和感しかない》
冷静に動画を視聴すればわかることだが、東国原氏は「万が一、女性たちの告訴内容が虚偽だったら」としており、その「仮の前提」をベースにした主張は一定の説得力があるものと言っても差し支えない。にも関わらず、なぜこうも反発が強いのか。その背景には、「逆告訴」に出た伊東サイドの主張の弱さも関係しているようだ。
なぜ東国原氏はこのタイミングで声を上げたのか
「宮崎県知事や衆議院議員も経験している東国原さんですから、自分の発言が多くの人に届くことは分かっていると思いますし、否定的に取られることもあると熟知しているはずですよね。それでもあえてこういう動画をアップしたということには、ご自分の“過去の不幸な事件”も関係していると考えてしまうんですよね」
こう語るのはかつて民放キー局で多数の番組制作に関わっていた50代のテレビ関係者だ。
“過去の不幸な事件”――。そう、東国原氏はかつて渋谷の風俗店で従業員女性が未成年とは知らずにサービスを受け、同店の摘発を巡る捜査の段階で東国原氏の名前が上がったことから、「未成年淫行」を行ったという虚偽報道がなされ、5ヶ月間の芸能活動禁止を強いられたという経験を持つ。もちろん身の潔白は証明されているが、毀損された名誉は大きすぎた。
「そんな経緯もあって、どうしても“冤罪かも知れない男性がバッシングに遭う”という状況に一言声を上げたかったという気持ちがあったのではないでしょうか」(同前)
事実、昨今は身に覚えのない痴漢行為を疑われ逮捕された挙げ句長期間に渡り勾留され、無実が証明されても失った名誉が回復できないと言った、男性だというだけで不合理な受難を受ける時代にもなっていることを考え合わせると、ケースこそ違えど東国原氏が黙っていられないという気持ちを抱くことは理解できる。
「時代が変わった」という分析は本当に正しいのか?
それにもかかわらず、なぜここまでの批判を東国原氏が受けなければならないのだろうか。過去に『週刊新潮』や『週刊文春』の競合誌での執筆経験を持つ男性ライターはこう分析する。
「動画の中で東国原さんは、『コンプライアンスが強化された時代だから異性との飲み会には注意が必要』という旨の、言わば『時代は変わったんだ』という分析を口にしています。確かにそういう一面もあるかも知れませんが、“ならぬものはならぬ”はどの時代も変わらない価値観だと思うんです」
事実、東国原氏は動画で「我々も若い頃もですね、いろんなですね、合コンとかパーティだとか、そういうの正直ですね、ワイワイガヤガヤやりましたよ」と過去の体験を告白している。もちろんそれがどのような飲み会であったかは知る由もないが、少なくとも東国原氏にそれらの場での行いを訴えられた過去はなく、身は潔白だ。とは言え「時代が変わった」ためにさまざまな性加害疑惑が表に出るようになったという分析は、批判者に「つけ入る隙」を与えてしまった感も否めない。