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「高をくくっていた」フセインが招き寄せたイラク戦争

上述のNYT論説やRCFPウェブなどの短い表現からは多くのことを読み取ることは出来ないが、いずれにしてもサダムの米国への認識と対応姿勢は複雑で、愛憎相半ば(アンビバレント)とさえ言えるほどだとコールは指摘する。サダムは1979年に大統領になった直後、80年代からCIAの協力者ないしお互いに利用し合う関係を築いていて、その最も重要なカウンター・パートナーは、CIA長官(1976年~77年)からレーガン政権の副大統領(81~89年)となったジョージ・ブッシュ父である。彼は、レーガン大統領のイラク派遣特使として暗躍しサダムと親しかったドナルド・ラムズフェルドと共に、当時イランとの「イラ・イラ戦争」を戦っていたイラクを物心両面で支援した(ラムズフェルドは周知のように、ブッシュ子政権の国防長官として2003年のイラク侵攻の急先鋒となる訳なので、これはまさに歴史の皮肉でと言える)。

ところがブッシュ父は大の陰謀好きで、イラクを支援する一方でその戦争相手であるイランに密かに接触し、ホワイトハウスの国家安保担当補佐官ポインデクスター、その下の国家安保会議軍政部次長ノース大佐らを指揮し、イランに武器を密輸して議会を通さない裏金を作り中米ニカラグアの反共ゲリラ「コントラ」に提供していた。これは86年に「イラン・コントラ事件」として発覚し、ブッシュ父の責任が取り沙汰されたが何とか追及を免れた。

コールによると、この一件でブッシュ父のチームがイランへの密輸作戦に際してイスラエルの諜報機関の協力を仰いだことを知って、イスラエル嫌いのサダムは激怒した。以後サダムは急激に反米化するが、反面、CIAの情報収集力や陰謀工作力に感服もしていた。だから2001年の9・11後にブッシュ子大統領がサダムが大量破壊兵器を隠していると非難を開始した時にも「CIAは何でも知っていて、我々が大量破壊兵器を持っていないことも、もちろん知っている。それなのに政治家がそのことを言い立てるのは、単に戦争開始の口実が欲しいだけだ〔からきっとCIAが止めてくれるに違いない〕」と高をくくっていた。そのため結果的に戦争を招き寄せることになった――と言うのである。

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