名作はひらめきと「ムダ」で出来ている
さらに、インティマシー・コーディネーターとしては、「サービスショット」は、なくしていくべきだと考えているようで、脚本に「ムダな肌の露出」と感じるものがあれば、監督に「このシーンは、この作品にとって本当に必要なのか?」と問うらしい。
コーディネーターが「ムダ」と感じても、男女関わらずその俳優のファンが「見たい」と期待しているものもあれば、俳優自身が人々を魅せるためにトレーニングしてきたものもあるわけで、「ムダ」「不必要」という感覚で作品をつついていくと、つまらないものしか作られなくなるのではないかと心配になる。
おまけに、「ハリウッドの俳優は、脚本の気になるところは自分ですべて監督に質問するが、日本の俳優は、空気を読んで嫌なことを嫌だと言えない」というようなことも言うので、ずっこけた。
アメリカ発の職業でありながら、アメリカの俳優が自分でやっていることを、日本の俳優はできないから代わりにやってあげるということなのか?? それじゃあ、日本の俳優にはいつまでも主体性がないという話になってしまうのでは……。
一定の評価はあるものの、新たな懸念も
インティマシー・コーディネーターについて調べてみると、介在してもらったおかげで、安心できたという声もあった。
新潮社の『波』2024年4月号に、高嶋政伸が、NHKドラマ「大奥」で徳川家慶を演じた際、10代の女優演じる自分の娘役に乱暴するというシーンがあり、非常に神経を使ったという体験を寄稿している。
本番でアドレナリンが上がった役者は、想像以上に力が入ってしまうもので、高嶋も、過去に刑事役を演じた際、勢い余って窓ガラスを粉々に割ってしまったことがあるという。そのことをコーディネーターに話して、相手役にケガやショックを与えないよう、事前の聞き取りでとことん撮影方法を考えて臨んだ経緯が書かれていた。
高嶋の役者としての演技に対する真摯さ、役作りに深く向き合うがゆえに相手役の少女を見て怖くなるという真剣さの伝わる内容だが、ナーバスな場面は、しっかり意見を出し合って特に慎重にやらなければならないという話でもあって、「インティマシー・コーディネーター」がいないとそれができないほど、乱雑な現場だったのかどうかは、よくわからない。
アメリカで資格認定された人間が、今後、新たな「アメリカでは」をどんどん現場に持ち込んだり、作品に対する権限を強めたりした場合、性的なシーン以外にも介入が起きるのではないか、やがて、「同意」を気にするあまり、勢い余って窓ガラスを割るほどの迫真の演技を打ち出せる俳優がいなくなるのではないかなど不安も感じた。









