毛沢東は、自らの失策が招いた経済的困窮の原因を、「走資派(資本主義の道へ進む実権派の意)」や「修正主義者」になすりつけ、文化大革命を引き起こします。かつての同志、劉少奇やインテリ層は、走資派や修正主義者と名指され、「スケープゴート」にされたわけです。およそ2,000万人の命を犠牲にして、毛沢東は権力の座を取り戻しました。2,000万人は東京の人口の約2倍という恐ろしい規模ですが、これに先立ち、彼が失脚する原因となった「大躍進政策」ではおよそ5,000万人の中国人が命を落としています。「歴史上、最も多くの中国人を殺したのは毛沢東だ」と言われる所以(ゆえん)です。
反対派を粛清することで権力の頂点に立った毛沢東は、しばらくの間、「アメリカ帝国主義」をスケープゴートにすることで、人民を団結させますが、やがて大胆にも、この「米帝」と手を結び、「改革開放」政策に舵を切るや否や、それまでの米国敵視政策はあっさりと無かったことにするのです。まさに「君子豹変」。このあたりは独裁者に特有の「変わり身の早さ」です。
毛沢東の死後、四人組が粛清され、「改革開放」路線を継承する江沢民の時代となり、市場経済の資本主義化が所得格差などの国内矛盾を露呈し始めると、新たなスケープゴートが必要になりました。しかし今更、以前のように「米帝」を「張り子の虎である」と攻撃して見せることはできません。何しろ、中国共産党の幹部たちはこの「米帝」と手を結ぶことで巨万の富を得ていたのですから、これを仮想敵に戻すのは無理な話です。
そこで新たなスケープゴートとして選ばれたのが「日本」です――(メルマガ『富田隆のお気楽心理学』6月18日配信号より一部抜粋。この続きをお読みになりたい方はご登録ください。初月無料です)
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