3.ビジュアル系神様
私は、七福神は由来よりもビジュアル中心で選ばれたのだと思う。ビジュアル系神様だ。現在に例えるなら、ハッピー戦隊七福神であり、招福キャラクター軍団のようなものだ。
これを天海が考案したとすれば、天海という人物はアニメや漫画が好きなオタクに通じるセンスの持ち主ではないか。
このセンスは、市川団十郎の歌舞伎十八番に登場するスーパーヒーロー的主人公や、絵草紙や北斎漫画のキャラクターにも通じている。
七福神は、宝船に乗っている。見るからに福々しい異国の神々が集団で押し寄せるのだから、こんなに縁起の良いことはない。
恵比寿は蛭子(ひるこ、えびす)が起源の日本の神といわれているが、蛭子は船で旅立った神である。そして、恵比寿は、夷、戎、胡の字もあてられる。夷はえみしで異民族を表し、戎は中国の西部および北部に住んでいた遊牧民族を表し、胡も古代中国において北方や西方の異民族を表している。恵比寿という名前は異民族を表す言葉なのだ。
なぜか、異世界の福の神が宝船に乗り合わせて海を越えて日本にやってくる。それが七福神である。
4.江戸は宗教改革都市
江戸の都市計画は、古代中国から京都につながる碁盤の目のような町割りではなく、有機的な螺旋構造をモデルにしている。そのため、江戸は拡大を続けることができた。
また、平和な時代に相応しい産業都市をも目指していた。それが具体化したのが「日千両」と言われた三つの場所、日本橋の魚河岸、浅草猿若町の江戸三座の芝居、吉原遊郭である。これらは、いずれも町人の消費が主役だった。
当時の欧州も中国も消費の主役は、王族や貴族、豪族だった。これは、江戸以前の日本も同様である。しかし、江戸幕府は王族、貴族は京に、大名はそれぞれの領地に留まらせ、江戸は全く新しい町人の町を作ったのである。
その基盤になるのは、人々の信仰である。家康と天海は権力と結びついた古い神々を切り捨て、新しい神々と新しい信仰を創り出した。江戸には、そんな宗教改革都市の一面があったように思う。
編集後記「締めの都々逸」
「初物好きな 江戸っ子だから こんなのどうよ 七福神」
七福神は奇天烈です。とても江戸っぽいと思います。
中国の神様もインドの神様も日本の神様も一つのチームです。韓国人と日本人混合のアイドルグループの上を行っています。
このセンスは京都や大阪にはありません。シュールでパンクなビジュアル系神様です。ビックリマンにも見えます。
現在の漫画やアニメに共通するセンスが江戸にはあります。そう考えると、天海さんって、かなりポップでオタクな人だったのでしょうね。(坂口昌章)
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