宝船に乗り人々に福を運び来るという七福神。一説では徳川家康の「ブレーン」であった天海という僧が江戸の地に七福神信仰を広めたとされていますが、そこにはどのような意図があったのでしょうか。今回のメルマガ『j-fashion journal』ではファッションビジネスコンサルタントの坂口昌章さんが、七福神の構成を改めて紹介するとともに、家康と天海の「狙い」を推察。さらに江戸という都市が持ち合わせていた特徴について考察しています。
【関連】平将門にシンパシーか。なぜ徳川家康は神田明神を江戸の総鎮守に定め、菅原道真を祀る湯島天神を篤く崇敬したか
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/メルマガ原題:神なき江戸の七福神
神なき江戸の七福神
1.江戸が排除した神々
徳川家康が江戸幕府を開くにあたり、武家政権、武家勢力と対抗した神社、寺院は排除されている。この作業には寛永寺を創建した天台宗の天海が大きく関わったと考えられる。
鎌倉時代から武家政権に対し、京都の公家勢力は常に討幕を仕掛けていた。そのため、江戸には京都を本拠とする天津神系の神社は少ない。多くの江戸の神社は国津神系の神社である。
反対に公家が嫌う怨霊となった平将門、菅原道真、崇徳天皇の神社は、鬼門、裏鬼門に配置されている。
信長と敵対していた比叡山、石山本願寺系の勢力もない。江戸の裏鬼門を守る増上寺は徳川家の菩提寺である。
浅草寺は徳川家の祈祷所にもなったが、独立系の寺院で宗教色は薄い。浅草寺の本尊は聖観音で、628年に檜前浜成・武成兄弟が江戸浦で漁をしていた時に発見されたものである。浅草神社の祭神は、土師真中知命と、観音像を拾った檜前浜成命、檜前武成命の兄弟だ。
江戸には関西にあるような巨大な神社、寺院は存在しないのだ。江戸は宗教的空白地域だったといえる。
2.世界の福の神が乗る宝船
そんな神なき江戸に生まれたのが七福神信仰である。一説によると、七福神をプロデュースしたのは天海だという。
七福神を構成する神々は以下の通り。
■大黒天(だいこくてん)
元々ヒンドゥー教の神であり、シヴァ神の別名で「マハーカーラ」とも呼ばれている。後に仏教に取り入れられ、日本では主に富と繁栄の神として信仰される。
■毘沙門天(びしゃもんてん)
毘沙門天は仏教の守護神で、インドの戦神ヴァイシュラヴァナが起源。七福神の中では武将の姿をしており、戦勝と財宝の神とされる。
■恵比寿(えびす)
恵比寿は唯一の日本由来の神で、大和民族の神道における神である蛭子(ひるこ)に由来している。商売繁盛や漁業の神として広く信仰されている。
■弁財天(べんざいてん)
弁財天はインドのヒンドゥー教の女神サラスヴァティが起源。芸術や学問、音楽の神として信仰されている。琵琶を奏でる姿で有名。
■福禄寿(ふくろくじゅ)
福禄寿は道教に由来する神。寿命と幸福、財運を司る神とされている。中国の道教と儒教に源がある。
■寿老人(じゅろうじん)
寿老人も福禄寿と同様に道教に由来する神で、長寿と健康の神とされている。頭には桃を持ち、丹が効くとされる杖を持っている。
■布袋(ほてい)
布袋は中国の実在の僧侶、契此(けいし)がモデルで道教の神でもある。大きな腹と笑顔が特徴で、満足と幸福を象徴している。
以上のように七福神の構成は宗教も国籍もバラバラだ。どう考えても誰かが何らかの意図を持ってキャスティングしたとしか思えない。
この記事の著者・坂口昌章さんのメルマガ