マリー・アントワネットの悲劇。断頭台の露と消えた王妃はなぜ夫のルイ16世と“愛し合う”ことができなかったのか

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パリオリンピックの衝撃的な開会式の演出で、死後230年を経てまたも世界中の話題となったマリー・アントワネット。37歳で処刑の憂き目に遭った彼女ですが、新婚当初からある悲劇に見舞われていたことをご存知でしょうか。今回の『歴史時代作家 早見俊の無料メルマガ」』では時代小説の名手として知られる作家の早見俊さんが、マリー・アントワネットを贅沢三昧な生活に走らせる原因となったとされる、夫ルイ16世の「身体的特徴」を紹介しています。
※本記事のタイトルはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:悲劇の王妃マリー・アントワネット

悲劇の王妃マリー・アントワネット

パリオリンピック、熱戦が繰り広げられていますね。日本選手も大活躍です。パリ大会で話題になった一つが開会式の演出でした。マリー・アントワネットを思わせる女性が登場しました。

今回はマリー・アントワネットについて記します。

マリー・アントワネットは苦しみの新婚生活を送り、ブルボン王朝を滅亡させました。マリーがフランス国王ルイ15世の孫、ルイ・オーギュストと結婚したのは、彼女が14歳、夫が15歳の時です。

新婚初夜は彼女が、いや、全ての女性が想像を絶する忌まわしいものでした。ベッドの周りを国王や貴族、神父、そして金を払った民が取り巻き、マリーが処女であるかどうかをチェックしたのです。屈辱の初夜の翌朝は服が用意されるまで全裸で待たされました。

そして何より不幸であったのは、夫ルイ、後のルイ16世とセックスができなかったことです。彼は真性包茎でした。しかもセックスに対して嫌悪感を抱いていたのです。祖父ルイ15世の女好きを軽蔑していたがゆえセックスを嫌悪していたのでした。ルイ16世は身も心も純情少年そのもの、ミスター童貞でした。

マリーの不幸は新婚時代ばかりか7年も続きました。二人は処女と童貞のまま王妃、国王に即位します。さすがに童貞と処女のままではまずいと、ルイ16世は包茎手術を受け、やっとのことでマリーは処女を喪失したのでした。

そもそも、マリーが王妃に選ばれた経緯も女性蔑視で彼女をないがしろにしていました。ルイ15世は孫の嫁選びに際して、マリーが美人か色白か豊胸かという外見のみに拘り、彼女の人間性などどうでもよかったのでした。

もっとも、マリー自身も豊満なバストは自慢だったようで、型をとった陶器を作らせています。ともかく、夫婦の営みが可能となり、二男二女をもうけたものの、決してよき母親にはなれませんでした。セックスができなかった鬱憤晴らしをしていた頃、ドレス、靴、宝石を買いあさり、連日の豪華パーテイなどの贅沢三昧の暮らしを母親となってからも変えられなかったのです。

やがて、国の財政を傾けて民衆の恨みを買います。ついには革命が起き、哀れマリーは断頭台の露と消えました。もし、夫がごく普通の男子であったなら、マリーは質素に暮らし、民衆の反発を受けることなどなかったかもしれません。

ルイ16世の包茎が革命を起こしたのかもしれません。

image by: Shutterstock.com

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【著者】 早見俊 【発行周期】 週刊

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