日本生まれの「モスバーガー」もとは食品すら扱ってなかったってホント?

Tokyo,,Japan,-,13,February,2021?mos,Burger,Sign
 

日本生まれのハンバーガー店で、いまも不動の人気を博すモスバーガー。今回の無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、その創業者である櫻田 慧さんのエピソードを中心に今日までのモスを牽引してきた元代表取締役社長の櫻田厚さんのインタビューを掲載しています。

モスバーガーはかくしてつくられた

最新号には、日本を代表するハンバーガーチェーンであるモスフードサービスを今日まで牽引してきた櫻田厚さんのトップインタビューを掲載。

創業者とのエピソードや仕事の中で体得した商売の極意など、学びが満載のインタビューになっています。

本日はその一部をご紹介します。

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──日本を代表するハンバーガーチェーンとして国内外に広く知られているモスバーガーですが、そもそもどのようないきさつで創業されたのでしょうか。

<櫻田> 
実は、モスフードサービスには前身となる会社がありましてね。創業者は大学卒業後、大手証券会社に勤めていたのですが、上司と大喧嘩をして、1965年、28歳の時に別の企業に転職するんです。ところが、今度はそこの副社長とも大喧嘩、次に入った皮革問屋でもやはり大喧嘩(笑)。

それでこれは自分で会社を立ち上げるしかないと決心し、証券会社時代の後輩である渡邊和男さん(後にモスフードサービス二代目社長)、吉野祥さんと共に、東京の神楽坂に皮革製品等を販売する株式会社モスを立ち上げたんです。

──当初は飲食とは関係のない事業からスタートしたのですね。

<櫻田> 
ただ、独立後もなかなか事業はうまくいきませんでした。

最初は商品を小さなショールームに陳列して販売していたのですが、全然売れません。商品をトラックの荷台に詰め込んで、団地まで売りに行ったりもしたそうですが、これもやはりだめだった。

じゃあどうしようかと悩んでいたところ、創業者の脳裏に浮かんだのが、証券マン時代、アメリカ・ロサンゼルスに駐在していた時に通った小さなハンバーガーショップ「Tommy,s」だったんです。

Tommy,sは、立地はよくないながらも一度食べるとクセになるメキシコ風のピリ辛ソース、当時のハンバーガーショップではまだ珍しかった注文を受けてから調理するアフターオーダー方式で大繁盛していました。

あの味なら日本でも受け入れられるかもしれないと考えた創業者は、Tommy,sの経営者に実際に会いに行って、「自分も日本で同じようなお店をやりたい」と思いを伝えたんですね。

すると、経営者の方は快く背中を押してくださり、Tommy,sで2週間修業させてくれただけではなく、さらに「ミスター・櫻田、うちのチリソースは日本人には辛すぎるから、もっと酸味の強い甘めのソースにしたほうがいい」と具体的なアドバイスまでしてくれた。

──素晴らしい方ですね。

<櫻田> 
創業者の人柄、何としても事業を成功させたいという強い熱意が伝わったからこそ、Tommy,sの経営者の方も快く教えてくださったのだと私は思っています。

そして帰国後、ソースやバンズ(パン)、パティ(お肉)を一緒につくってくださるメーカーさんを探していったのですが、当然なんの実績もない若者に協力しようというところはないわけです。

しかし、これも熱意。創業者が思いを何度も伝えたことで、「そこまでやりたいなら手伝うよ」と手を挙げてくださるメーカーさんが現れ、日本人の味覚に合うハンバーガーをと、試行錯誤を重ねた末に現在の看板商品「モスバーガー」をつくることができたんです。

そうして社名もモスフードサービスに変更し、1972年、創業者35歳の時に東京・板橋区の成増に一号店をオープンしました。(『致知出版社の「人間力メルマガ」』2024年9月10日号より一部抜粋)

image by: yu_photo / Shutterstock.com

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【著者】 致知出版社 【発行周期】 日刊

 

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