小賢しい「農民に米を作らせない」政策の果て
農家に「米を作らない」ことを奨励――というより強要する「減反」政策は、1970年に始まり2017年まで約50年間も続いた。
それ以前は、1942年に東條内閣が制定した食糧管理法の下で、政府が公定価格で米・麦を農家から買い取り、食糧営団を通じて配給する食糧管理制度がとられてきたが、戦争直後の飢餓状態を脱して生産も消費も落ち着きを取り戻すと共に、生産者から高く買って消費者に安く売ることによる逆ザヤ負担が耐え切れないほどに膨らんだ。そのため、1970年頃から、
- 政府米に買い入れ限度を設ける一方、
- 農家が卸業者などに直接販売することを許容。
- 同時に、水稲の作付け面積を制限することで米価の下落を予防するという無謀な統制的発想から、
水稲栽培を止め(減反)、他の作物を作付けする(転作)か、何も作らない(休耕)と、つまり「米を作らない」と補助金が出るという政策が始まった。
どこぞの国立大学の法学部を出て、統計の分析や法律の解釈は得意かもしれないが田植え・稲刈りなどやったこともなく鎌で指を切ったこともないヒョロヒョロ官僚が机上の空論で編み出したこんな政策がうまくいくはずもない。
日本は、安田喜憲の定義によれば東洋の「稲作漁撈文明」の極致とも言うべき国柄でありそれは欧米の「麦作牧畜文明」と並んで世界を二分する文明原理の1つであり、それをまた安田の師である梅原猛は、東洋は「安らぎの文明・慈悲の文明」であるのに対し西洋は「怒りの文明・力の文明」と位置付けた(安田『稲作漁撈文明』、雄山閣、2009年刊)。
ヒヨッコ官僚に分からないのは、この目先の赤字の辻褄合わせでしかないこの小賢しい「農民に米を作らせない」政策が、まさに日本文明の根幹に対する冒涜であり、数千年にわたり土を作り田んぼを守ってきた農民の人間としての誇りに対する侮辱だということである。戦後日本の「堕落」はここから始まったと言っても過言ではない。その行き着いた先がこの情けない「米不足騒動」である。
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