「ストロベリー・ロード」などのノンフィクション作品で知られる作家でジャーナリストの石川好さんが、今年8月19日に77歳で亡くなりました。石川さんの急な死に「喪失感をもてあましている」と述懐するのは、辛口評論家として知られる佐高信さんです。今回のメルマガ『佐高信の筆刀両断』では、石川さんのユニークな交友関係として当時のインド首相・ヴァージペーイー氏とのエピソードを紹介。石川さんが「佐高信の怒りは信用できる」と“ホメ殺し”していたことも取り上げ、早くに逝ってしまったことを「怒りたい気持ち」と表現し、深く悼んでいます。
勝手に逝った石川好を怒る
書いても書いても思い出が湧いてくる。そして喪失感をもてあます。やはり石川好はワルイ男だ。私の郷里の酒田の美術館長もしていたので、地元紙に連載しているコラムでも石川を追悼した。題して「勝手に逝ったわが友、石川好」である。
その時、石川に『佐高信の筆刀直評』(徳間文庫)の解説を頼んだことを思い出し、それを開いたら、のっけから「時代は『佐高信の時代』である」などと書いている。「アポロン」という銀座の超一流のクラブの黒服(マネージャー)をしていたこともあるから、リップサービスはお手のもの。ホメ殺しは石川の発明ではなかったか。
しかし、よく私を見ていてくれたのだなと改めて思ったのは、その結びだった。
「怒りは瞬間的なものではなく、継続されるもののみが、真の怒りである。佐高信の怒りが信用できるのは、繰り返し、繰り返し、怒りの文章を書くからである。できれば、こういう人間とは付き合いたくない。しかし、こういう人物の書くものは読み続けたい、と一読して読者は思うだろう。私もそのような読者の1人である」
文藝春秋の発行するオピニオン誌『諸君』に「最後の進歩的文化人佐高信の正体」なるものが載ったことがあった。筆者は副島隆彦で、電車の中吊り広告で宣伝したりしたため、いろいろと反響があった。いわゆる左派系叩きの一環で私も平静ではいられなかったが、その最中に石川から電話が来た。
「サタカさん、オレの知らないことが書いてあるかと思って赤鉛筆片手に読んだけど、何も書いてなかったね。買って損したよ」
石川一流の逆説的励ましである。
石川は自分がアメリカで最下層のイチゴ摘み労働をしたためか、どんな相手に対しても態度が変わらなかった。当たり前と言えば当たり前だが、大企業の社長を前にしても、ホームレスに対しても同じなのである。
石川のつきあいのユニークさにはいつも驚かされたが、最たる例はインドの首相、アタル・ビハーリー・ヴァージペーイー。中国だけでなくインドとの関わりも深めた石川が若いインド人の紹介で首相に会った。
石川によれば、『ゴッドファーザー』のマーロン・ブランドのような風貌の首相は、石川が自分は物書きだと紹介すると、英語で読めるものはあるか、と尋ねた。
『ストロベリー・ロード』と答えると、ヴァージペーイーは、はっと目を開き、「その本なら読んだ」と答えたという。元ジャーナリストで詩人政治家のヴァージペーイーは、『ニューヨークタイムズ』別冊の「書評」を取り寄せて読んでいた。そこに『ストロベリー・ロード』が載ったので、ニューヨークから取り寄せて読んだということだった。
「その説明を聞き、英語が世界言語であることを痛感させられた」と石川は述懐しているが、気のおけないおしゃべりの相手を失って、私はいま、勝手に逝った石川を怒りたい気持ちで一杯である。
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image by: 外務省