フリーアナウンサーの小倉智昭さんが77歳で死去。SNSには追悼メッセージや『とくダネ!』など出演番組の思い出が多数投稿されている。そんな中、「自分にとって小倉さんと言えばこれ」と多くの人が言及している隠れた名番組が『パソコンサンデー』だ。
小倉智昭さんが77歳で死去、SNSでも悲しみ広がる
闘病を続けていたフリーアナウンサーの小倉智昭さんが9日、ぼうこうがんのため都内の自宅で死去した。77歳だった。
『世界まるごとHOWマッチ』(毎日放送)、『巨泉のこんなモノいらない!?』(日本テレビ)、『タミヤRCカーグランプリ』(テレビ東京)では軽妙なナレーションで視聴者を楽しませたほか、『情報プレゼンター とくダネ!』(フジテレビ)で実に22年間にわたって司会を務めた小倉さん。
訃報が伝わるとSNSではお悔やみの投稿が急増。とりわけ『とくダネ!』における「朝の顔」のイメージは鮮烈だったようで、「あまたつー!」の呼びかけが耳に残って離れない、との追悼メッセージが相次いでいる。
そんな中、絶対数こそ『とくダネ!』関連におよばないものの、「自分にとって小倉さんと言えばこれ」と多くの人が言及している番組がある。それが『パソコンサンデー』(テレビ大阪)だ。
「パソコンサンデーの小倉さん」を惜しむ声多数
『パソコンサンデー』は今から約40年前、1982年3月から1989年6月にかけて毎週日曜朝に放送されていたパーソナルコンピュータ関連情報番組。司会の小倉さんは、すでにこの頃から「朝の顔」だったわけだ。
番組ではCMスポンサーであるシャープ製パソコンのMZシリーズやX1シリーズ、そして多くのパソコン少年にとって憧れだったX68000シリーズを中心に、ソフト紹介やプログラミング講座、開発者インタビュー、ゲーム攻略など多彩な内容が取り上げられた。
ファミコンブームと同時期にあたるものの、まだまだ「マイコンやパソコンは暗いオタクの趣味」というネガティブなイメージが根強かった時代に制作された革新的番組。この時期にパソコンに興味を持ち、あるいはプログラミングを覚えた子どもや若者たちは、やがて日本のIT業界やゲーム業界をリードする人材に育っていった。
そんな経緯があるからか、元パソコン少年少女たちにとって「パソコンサンデー司会の小倉さん」はあまりにも大きな存在となっている。そのことがうかがえる追悼のメッセージを、Xからいくつか引用させていただこう。
小倉智昭さんは、やはり僕にとっては「パソコンサンデー」。X1ユーザーだったので、山下章さんや、Dr.PCこと宮永好道さんらと、シャープのパソコンについて熱く語ってくれた思い出が強いです。後年、PCやモバイルが普及してからも偏見なく受け入れていたのが印象的でした。ご冥福をお祈りします。
— 栗原景(くりはらかげり) (@kuriharakageri) December 10, 2024
小倉智昭さんがお亡くなりになられたとTLに流れてきて驚いた。
自分にとってはパソコンサンデーの司会と世界まるごとHOWマッチのナレーションで軽快なトークをされていたイメージが強い。
ご冥福をお祈りいたします。— otta@べ~しっ君 (@otta777) December 10, 2024
僕にとってはずっと『パソコンサンデー』の小倉さんでした。
ご冥福をお祈り致します。 pic.twitter.com/VIa0rzAfi5— 佐久間亮介 (@SilphNab) December 10, 2024
小倉智昭さんのご冥福をお祈りいたします。
※パソコンサンデーは小学生の時に楽しみにしていた番組で、同番組の合宿に参加したことは僕がITについて、当たり前のように付き合っている基盤となったものだったと思っております。感謝。
— Atsuhisa Nishizawa (@sha2438) December 10, 2024
小倉智昭さん、パソコンサンデーでの最後の言葉。
御冥福をお祈りいたします。 pic.twitter.com/Nzvq6Vcf3S— Gyusyabu (@Gyusyabu2001) December 9, 2024
とくダネ!の小倉さん、タミヤRCカーグランプリの小倉さん、パソコンサンデーの小倉さん――たくさんの「小倉さん」が故人の生前の活躍を物語っている。惜しい人がこの世を去ってしまった。謹んで哀悼の意を表したい。
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