般若心経を「1日10巻も写経」という異常指導
また、処分であるが、これを見て「おいおいマジかよ」が私の第一声であった。
というのも、般若心経の写経は、私も精神統一や御供養のために私も行ったりするのだが、一巻作るのに、1時間から1時間半かかる。
もう一巻、と求められても、精神力がほぼ空になるから、しばらく休まないと写経はできない。
これを80巻書くというのは、驚くほどきついと言える。
仮に写経が1時間であるならば、1日10時間かかる計算となる。書き損じや墨にも気をつけなければならないとなれば、かなりの苦行になることは当然である。この量を「ちょっと多い」くらいで考えているならば、やってみるといいだろう。筆ペンは非常に優秀で、書き損じ予防などにもつながるが、毛筆・墨で書くとなれば、相当時間が掛かるはずだ。
私が思いつきで写経をやってみようと思い、毛筆に墨で半紙を使ってやってみたところ、綺麗に一巻を仕上げるまでに1日2時間ほどを使って20日間かかった。
今では筆ペンでなぞって書くが、それでも一巻1時間はかかる。
これを1日10巻仕上げるとなり、諸々チェックされ、雑だと思われたらやり直しになるとすれば、他の「行」を全てやらずであっても1ヶ月はかかるであろう。
学校はこれを「行」と呼んでいたようだが、かなりきつい罰だと間違いなく言える。これであれば、無期限停学処分の方がよっぽどマシだ。

本人が書いた写経(ご遺族ご提供)
例えば、いじめは被害者がいる。傍観の中にもその被害や対応を見て、不安になったり、心身の不調を訴える者も出る。つまり、必ずその加害に迷惑を被り、被害を受ける者がいるのだ。
一方、カンニングは、自らのリスクのみとの引き換えになる。仮に、カンニングを成功させたとしても、場当たり的であって、本来の成績が良くなる訳ではなく、いずれ勉強しなければならない。さらに言えば、これで下手に癖がつけば、そのうち、人生における取り返しのつかない大失態となりかねない。
つまり、カンニングという行為は、誰にも迷惑をかけるような性質のものではないが、自分のリスクを高める。発覚すればその場で処分は当然だし、発覚せずとも癖になれば取り返しがつかない道を行くことになる。
それでも、多くの学校の場合、いじめの加害者への処分はまず無く、こうした頭髪や服装などを含めた、生徒個人にリスクがある行為等の処分は積極的に行う傾向がある。反省して憔悴しきっている生徒を指導するのは容易に感じるだろうが、反省せず反発してくる場合は、指導せずに世に放つというわけだから始末が悪い。
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