憔悴しきった生徒を追い詰めるのが本当の教育か
前提として、私は不正に関しては嫌悪感を持っています。先日、私はあまりの睡眠不足と疲労で、目を覚まそうと寄ったコンビニで、カップのホットコーヒーを頼みました。いつもはMサイズを頼むのですが、トイレが近くなってはいけないという思いが頭を過り、Sサイズを頼みました。しかし、いつもの癖で、Mサイズの濃いめを押してしまったのです。
私はすぐに事情を店員さんに説明し、何度も謝罪をして、Mサイズの料金を払いました。
店員さんからは、あなたは正直すぎるよ。と言われてしまいましたが。
一方、人の欲などを起因としたトラブルを調べることを生業としている本業探偵であるがゆえに、人は弱い生き物であるということは嫌というほど見てきました。だからこそ、何かをきっかけに不正に手を染めてしまうことは誰にでもあろうと思うのです。
だから、私はカンニングという不正行為は許容できません。自分も絶対にしません。
ですが、本件で詳しい話を見て聞いていて、その経緯で本人がそこまで追い詰められていく様子もよく分かったし、カンニングをしてしまった本人が、本当に反省して後悔している様子は、よくわかりました。憔悴しきっている生徒を教師らがさらに追い詰めていく過程もよくわかりました。
誰かが被害を受けているわけではない中で、こういう場合にこそ、真に更生の可能性が高く、ただ単にスパルタに追い詰めるのではなく、自分を見つめ直す時間を与える方が、本当の教育だと私は思うのです。
人はよく間違えます。何かの後悔がない大人がいないように、誘惑に負けてしまったり、失敗してしまったり、間違えて悩んで人は成長するのではないでしょうか。それが人間らしいと私は思うのですが、皆さんはどうお考えでしょう。機会があれば教えてください。
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image by: 伝説の探偵









