相手を選ばない「大炎上発言」を世に残した渡部昇一の“罪”

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わからないことがあれば、ネット検索やSNS上でサクッと情報が手に入る時代。便利になった反面、まるで事実のようなデマ情報も容易に耳に入ってきます。英語学者であった故・渡部昇一氏が「炎上リスク」を恐れることなく発言していた過去について、小林よしのりさんが自身のメルマガ『小林よしのりライジング』で言及しています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:渡部昇一の遺伝子

英語学者・渡部昇一が世に残した「衝撃発言」の数々

わしは平成10年(1998)に『戦争論』を出した際には、これで出版界からは完全に干されるかもしれないということまで覚悟していた。 当時は、サヨク自虐史観の空気がそこまで世の中を席巻していたのだ。それだけに、わしはそれ以前からサヨク自虐史観と戦っていた人たちには最大限の敬意を表してきた。 しかし、それにも限度というものがある。

昭和57年(1982)、文部省(当時)の検定で高校歴史教科書の「侵略」の記述が「進出」に改められたと全マスコミが報道、特に朝日新聞は「戦前回帰だ!」と騒ぎ立てた。 中国・韓国は猛抗議、日本政府はこれに無条件降伏し、次の検定からは歴史教科書の記述には中韓らの意向に配慮しなければならないとする「近隣諸国条項」が設けられ、これを機に自虐史観の過激化に歯止めがかからなくなってしまった。

ところが、「侵略」を「進出」に書き換えた教科書などそもそも存在せず、これは全くの誤報だった。 自虐史観は「デマ」によってエスカレートしたのである。

そしてこの時に「教科書書き換え」が誤報であることを訴え、その後も一貫して自虐史観と戦っていたのが渡部昇一(上智大学名誉教授)である。 そのため、わしは渡部にもずっと敬意を以て接し、『戦争論』の出版後には対談本も出した。

渡部は昭和5年(1930)生まれ、専門は英語学だったが、その名を一躍有名にしたのは昭和51年(1976)の著書『知的生活の方法』である。

これは思想の左右とは関係のない「自己啓発本」で、新書一冊読んだくらいで「知的生活」ができるのなら誰も苦労しないはずだが、大衆の知的コンプレックスを上手く刺激してベストセラーとなり、シリーズ化された。 そして渡部は日本の歴史・文化などに関する著作を次々に刊行、テレビ出演や雑誌のコラム連載などもするようになった。

普通こうして有名になった知識人は、世間に迎合するような意見しか言わなくなるものだが、渡部は今よりもずっと左翼全体主義が強固だった70年代末から戦後体制に異議を唱え、日本の歴史を肯定的に見直そうと訴え、南京大虐殺を否定していた。

あの当時にリスクも恐れずそんな発言をするなんて、相当の「変人」でなければできないことだった。 そして渡部は、確かにかなりの「変人」だった。 しかも多分に悪い意味で。

昭和55年(1980)、渡部と作家・大西巨人の間で「『神聖な義務』事件」と呼ばれる筆禍騒動が起きたーーー。(メルマガ『小林よしのりライジング』2025年1月15日号より一部抜粋。続きはご登録の上お楽しみください、初月無料です)

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