構造改革の一つとして長年注目されてきた「放送と制作の分離」
放送と制作の分離(ハード・ソフト分離)は、放送業界における重要な構造改革の一つとして長年注目されている概念である。この分離は、放送局が担う二つの主要な機能、すなわち番組制作(ソフト)と放送設備の運用(ハード)を別々の事業体として管理することを意味する。
この概念が重要視される背景には、放送業界の効率化、競争の促進、技術革新への対応という課題がある。従来の垂直統合型モデルは、新規参入の障壁を高くし、業界の硬直化を招くという問題が指摘されてきた。
日本の放送業界は長年、NHKや民間放送局を中心に垂直統合型の体制を採用してきた。このモデルでは、放送局が番組の企画・制作から編成、送信までのすべてを一手に担うのが一般的であった。
一方、1970年にアメリカで施行されたFin-Syn Rule(金融利益と配給規則)は、とくに米国のテレビ産業に大きな影響を与えた。この規則の主な目的は、テレビネットワークの過度な支配力を抑制し、番組制作の多様性を促進し独立系制作会社の成長を支援するというもの
この規則により、ABCやCBS、NBCといった主要ネットワークは、自社制作番組の放送を制限され、独立系制作会社からコンテンツを調達することが求められた(*3)。Fin-Syn Ruleは1995年に完全撤廃されるも(*4)、その30年間の影響は現在も米国のメディア産業に残っている。
放送局への過度な権力集中。「放送と制作の未分離」のリスク
日本のテレビ業界において、放送と制作の分離が進んでいない現状は、様々なリスクや問題を引き起こしている。この構造的な課題が、人権侵害、性加害、労働過多、そして権力の集中といった深刻な問題につながっていった。
日本のテレビ放送は、その黎明期から放送局が番組制作も担う垂直統合型のモデルを採用してきた。これは、過去、テレビ放送開始当初に映画会社などの協力が得られず、自前で制作せざるを得なかった歴史的経緯に起因する。
この構造は、効率的な番組制作と放送を可能にする一方で、放送局に過度な権力の集中をもたらした。結果として、放送局は番組の企画から制作、編成、放送まで全てを管理する強大な権限を持つことになり、これが様々な問題の温床となっていった。
日本の垂直統合型モデルがもたらす最も深刻な問題の一つが、人権侵害と性加害のリスクの増大だ。放送局内部で全てのプロセスが完結することで、外部からのチェック機能が働きにくくなり、不適切な行為や判断が見過ごされやすい環境が生まれている。
例えば、現在進行中のフジテレビをめぐる事態は、まさにこの構造的問題の表れといえる。放送と制作が分離されていれば、このような不適切な慣行に対して外部からの監視や批判が機能しやすくなり、人権侵害や性加害のリスクを軽減できる可能性があった。
■放送と制作の分離が進んでいないことのリスク
- 人権侵害と性加害のリスク増大:放送局内部で全てのプロセスが完結することで、外部からのチェック機能が働きにくくなり、不適切な行為や判断が見過ごされやすい環境が生まれる
- 労働環境の悪化:制作現場への過度な要求や無理な締め切りの設定が容易になり、労働過多や長時間労働を引き起こす。
- 番組の質の低下:視聴者のニーズを把握しないまま番組を制作していることで、視聴者との乖離が起こる。
- 権力の集中:放送局が番組の企画から放送まで全てを管理することで、多様な視点や意見が排除されやすくなり、放送内容の画一化や偏向のリスクが高まる。
- 経営の非効率性:送信部門と制作部門が一体化していることで、コストの内訳が不明確となり、経営の効率化を阻害する。
- 言論の自由への懸念:コンテンツを送信するか否かの判断を放送局が独占的に行うことで、言論が偏重する恐れがある。
- 国際競争力の低下:海外展開や国際交流に消極的な構造が生まれ、グローバル市場での競争力が低下する。
- 著作権問題:放送局が著作権を独占的に保持することで、コンテンツの二次利用や海外展開が制限される。
- 新技術への適応の遅れ:既存の構造を維持しようとするあまり、デジタル化やインターネット配信などの新技術への対応が遅れている。
- 地方局の経営悪化:キー局による番組供給に依存する構造が、地方局の独自性や経営基盤を弱体化させる。
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