なぜ「親の面倒は子どもが見る」が当たり前の時代ではなくなってしまったのか?

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知らないうちに常識化されていた「親の面倒は子どもが見る」というもの。これが「子どもの立場」である人たちを苦しめている状況が生まれつつあります。そのことについて語るのは、生きづらさを抱える人たちの支援に取り組むジャーナリストの引地達也さん。引地さんは自身のメルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』の中で、孤独死の対応や遺品整理の活動を行う一般社団法人「LMN」の代表理事である遠藤英樹さんの記事を見て感じた「現代の親子関係」について語っています。

親子関係と「あるべき」コミュニケーションとの狭間で

暗黙のうちに「常識化」されたことが一部の人を苦しめることがある。

常識はやがて「こうあるべき」との認識の上で多数派の横暴となって、その「あるべき」が理解できない人にとっては生きづらさしか与えない、社会の障壁となって、それ以外の人を排除する─。

一般社団法人「LMN」の代表理事、遠藤英樹さんは、そのあるべき姿と現実との間で苦しむ人に門を開き、現在、その相談が増えているという。

あるべき姿とは、健全な親子関係、である。

朝日新聞(4月20日)に掲載されたLMNの記事によると、同団体への相談は「親の介護をしたくない」「関係を断ちたい」が約8割を締めるという。

「進学を反対されたり、母の介護を強要されそうになったり」(同紙)との報告は、「あるべき親子の関係」と実態との落差で苦しむ人たちの一例のようだ。

家族は助け合い、高齢した親を子どもが面倒を見るべきである、この認識を社会はどのように解釈すればよいだろう。

遠藤さんの活動は、社会に大きな問題提起をしている気がする。

遠藤さんは、私が代表を務めるみんなの大学校と提携関係にあり、どちらも社会の支援の仕組みがないところへの活動であると認識している。

以前は孤独死への対応や遺品整理の活動がテレビで紹介された。

増加する孤独死は、一人ひとりの人生の尊厳に向き合う社会の矜持が試されているが、具体的に対応するサービスはない。

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