なぜ「親の面倒は子どもが見る」が当たり前の時代ではなくなってしまったのか?

 

高齢者支援の中で、社会が対応できない隙間に目を向け行動してきた遠藤さんだが、今回は親子関係を焦点化した支援である。

同紙によると、遠藤さんが典型的なパターンと説明するのは「度を越した厳しいしつけや暴言を浴びながら育った子どもが大人になり、『うちの家族は異質だった』と気づいて距離を取るようになる。にもかかわらず、親が『子どもが介護するのは当たり前だ』と主張してさらに関係がこじれる」ケース。

そんな親でも、面倒を見なければならず、「しなければならない」「したくない」の狭間で苦しむ人にとって、親への対応を引き受ける遠藤さんはありがたい存在であろう。

関わりたくないのに、関わるという複雑な行動を遠藤さんはこう解釈している。

「『捨てることができない親への思い』と、無視し続けて『何をされるかわからない』という恐怖心」。

ここに潜むのは社会からの目であり、私達が築き上げてきた道徳観や倫理観も関わっているはずだ。

だから、遠藤さんはこうも言う。

「本来は、あってはいけない仕事」と。

さらに遠藤さんはこう続ける。

「ただ、10年前と比べても、時代閉経や環境が大きく変わってしまった。つらいのなら第三者の手を借りてもいいと、今は思っています」。

私の活動の中で、精神疾患の方、発達障がいの方との関わりで、親とのコミュニケーション問題を抱えているケースは少なくない。

親の愛情が結局、子どもにとってはストレス過多となり、健康を害するケースは、疾患の要因でもあるのだ。

愛情の形が相互理解されず、結果的に親に悪気がないことを子どもが気遣い、最後まで押し黙ろうとする人がいた。

すれ違いの親子の思いがかみ合わず、いつも言い争いになってしまいうつ病を発症した人もいる。

これは最近、相談対応で私が直面したケースである。

親子関係の当たり前を再度、柔らかな、社会的ケアの視点で考え直してみる時機なのかもしれない。

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障がいがある方でも学べる環境を提供する「みんなの大学校」学長として、ケアとメディアの融合を考える「ケアメディア」の理論と実践を目指す研究者としての視点で、ジャーナリスティックに社会の現象を考察します。

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