ザ・ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンが亡くなった6月、世界はまた一つの爆音に包まれていました。米国によるイラン核施設への攻撃です。今回のメルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』ではジャーナリストの引地達也さんが、アメリカという国が持つ光と闇、そして孤高の天才ブライアン・ウィルソンが送った生涯の光と影に迫ります。
ブライアン・ウィルソン死して、見つめる光と影
ザ・ビーチ・ボーイズのリーダー、ブライアン・ウィルソンさんが82歳で亡くなった今月、米国はイランへの攻撃を開始し、この2つのことが私の中で混ざり合っている。
「米国史上最高の作曲家の一人として広く認められ、先進的なスタジオ技術の先駆者」(ビルボード誌)は眩いばかり光を放つ米国の輝きを表現した。
その光の対極にある漆黒の闇、渦巻く憎悪を掻き立てる爆撃─。
同じ米国で共存する光と闇は、ブライアンさん自身が光と闇を抱えての人生だったのも、この2つを錯綜させてしまう引力なのかもしれない。
ビーチ・ボーイズは美しいハーモニーと旋律でカルフォルニアの陽気な太陽を世界中に輝かせ、そして今もその楽曲は西海岸の穏やかで包容力のある空気感を湛えている。
その楽曲を作り出したブライアンさんは、一気にスポットライトを浴びながら、その先にある音楽を求め続け、暗い闇に自分を幽閉していった。

image by: Cashbox, Public domain, via Wikimedia Commons
その闇を思うとき、米国は光ばかりではないことに気づかされる。他者を攻撃する米国、という姿。
ベトナム戦争や反共政策をもとにした軍事介入、イラク、アフガニスタン、そしてイラン。
今、光はどこにあるのだろう。
陽気な米国の象徴だったThe Beach Boys
ビーチ・ボーイズは、カリフォルニア州ホーソンに住む長男、ブライアンさんと弟のカールとデニス、いとこのマイク・ラヴ、友人のアル・ジャーディンでペンドルトーンズとして1961年に結成されたのが前身。
地元のレーベルからリリースされた「Surfin’」で「ザ・ビーチ・ボーイズ」として地域でヒット。
翌年の「Surfin’ U.S.A. 」で全米2位を獲得し、今や陽気な米国の象徴となった。

image by: Trailer screenshot, Public domain, via Wikimedia Commons
初期のビーチ・ボーイズは「サーフィン、車、女の子」をテーマに西海岸の若者模様を陽気に歌った。この陽気さは巧みな天才の作曲もあり、さらに発表された曲にブライアンさんの才能は、聴くほどに気づかされる深さがある。
しかし、ここからブライアンさんの闇夜が始まった。
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