6月22日に投開票が行われた東京都議選では5つ議席を減らし、野党第一党の座を明け渡すこととなった日本共産党。今月末に迫った参院選でも改選7議席を下回ると予測されるなど、苦しい状況となっています。なぜ同党はここまで凋落してしまったのでしょうか。今回のメルマガ『有田芳生の「酔醒漫録」』では、かつて共産党に身を置いていた著者の有田芳生さんがその要因を分析。さらに現執行部が果たすべき「歴史的責任」を提示しています。
※本記事のタイトルはMAG2NEWS編集部によるものです/メルマガ原題:日本共産党は再生できるか(上)(中)
生命の危険さえ覚悟して育ってきた政党の凋落。日本共産党は再生できるか
103年の歴史を誇る日本共産党の凋落が激しい。このままでは国会でミニ政党化してしまう恐れがある。
党員は1982年の約48万人をピーク(当時は「50万の党」を目標スローガンとしていた)に現在は約25万人。機関紙『赤旗』は1980年に約355万部だったが、現在は100万部を切った。
そうした土台のうえに衆院議員は1979年の39議席から8議席に、参院議員は1998年の13議席から11議席となった。7月20日に投開票される参院選でも比例区現有5議席が3議席あるいは2議席になる可能性さえある。衆議院では6年前にできたばかりのれいわ新選組に1議席少ない。
共産党の歴史は戦前の治安維持法時代の弾圧だけでなく、戦後もレッドパージによる排除など、いまにいたるも反共攻撃は続き、かつてとは環境が異なるとはいえ、そこに加入する人たちは、社会変革をめざした基本的に誠実な存在である。虐殺された小林多喜二に象徴されるように、人生はもちろん文字どおり生命の危険さえ覚悟して育ってきた政党だ。
野坂参三議長が旧ソ連に「内通」していたとされ除名になったが、共産党の歴史は「異端」排除の歴史でもあった。ここ数年でも党を除名あるいは除籍された者たちが、裁判に訴えるなど、共産党の歴史でもきわめて珍しい事態が進行している。
この苦境は共産党でいかに認識され、そこから再生する道はあるのだろうか。
共産党史のなかでも党内闘争があれば、それは組織内で争われ、結果は機関紙で公表されてきた。除名問題なら何らかの報道が機関紙などで行われてきた。ところが「党員の資格がなくなった」と組織が判断すれば「除籍」することができるので、これは規約上の処分ではないから『赤旗』などの報道は基本的になされない。
例外的なのは1984年に原水禁問題で哲学者の古在由重氏が離党届を出したのに対して、宮本顕治議長の指示で除籍処分が行われた。そのとき長文の除籍通告書が書かれたのは、古在由重氏が公然と反論を述べたときに公表する予定だった。ところが古在氏は沈黙を貫いたので、共産党は文書を明らかにしなかった。
1990年に古在氏は亡くなった。ところが新聞各紙は大きく報じたのに『赤旗』は戦前から闘ってきた古在氏の訃報を載せなかった。その対応に党の内外から批判が殺到したため、中央委員総会で金子書記局長が報告、その内容を『赤旗』に掲載、さらに「除籍通告書」全文を『赤旗評論版』(1990年7月9日号)に掲載した。
除名すれば報道しなければならないが、除籍なら資格を失ったとの判断だから世間には「なかったこと」にできる。だが、そんな時代は終わってしまった。
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