「7月5日の『大災害』予言のせいで、観光業が莫大な経済的損失を被った」とか「こんな不謹慎な漫画を描く作者はけしからん」といった批判が増加している。一部では「デマを拡げるSNSやネットはやはり規制が必要」との意見も出ているようだ。だが、心理学者の富田隆・元駒沢女子大教授は異なる見方をしている。多くの人々が終末予言を真に受けてしまう現在の“不健康な日本社会”は、政府与党が長年かけて作りあげたものに他ならないからだ。(メルマガ『富田隆のお気楽心理学』2025年6月28日号より)
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです
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2025年夏の日本を席巻した「大災害予言」の心理学
(※本記事はメルマガ6月28日号を再構成したものです)
巷では「7月5日に大災害が日本を襲う」というような噂で持ち切りです。
たつき諒さんという漫画家が、1999年に『私が見た未来』という漫画を出版したのがきっかけ。その表紙に、何と「大災害は2011年3月」と書かれていたのです。まるで、2年後に起きる「東日本大震災」を予言していたかのようです。当然、これは大評判になりました。
当時、たつきさんは既に漫画家を引退していて、『私が見た未来』も絶版になっていたのですが、あまりにも評判になったので、2021年に「完全版」として復刊されたのです。その際に、たつきさんが「新たな予言」を書き加えました。それが、「2025年7月に大津波が起こる」というものでした。
その津波の高さは東日本大震災の3倍(約120m)で、南海トラフ地震の想定をはるかに超えるものなのだそうです。そして、日本列島の太平洋側の3分の1から4分の1がこの津波にのみ込まれます。
さらに、その衝撃によって陸が押されて盛り上がり、香港から台湾、そしてフィリピンまでが地続きになるという「予知夢」を見たのだそうです。
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「7月5日の予言」はなぜここまで広まったのか?
この『私が見た未来 完全版』に書かれていた2025年7月5日の予言が、今回の大騒ぎの発端になったわけですが、特徴的なのは、ネット上でそのまま拡散されるだけでなく、多くのユーチューバーやインフルエンサーによって、新たな“自分の考え”が付け足されていったことです。それによって「7月5日大災害説」の「もっともらしさ」がさらに増幅されました。
たとえば、「地震に因る津波で120mは無理だから、おそらく『小惑星』がフィリピン沖に衝突するのではないか」とか「ロシアが開発した新型の核魚雷『ポセイドン』が日本に向けて発射されれば、この規模の津波が生じる」とか「津波の高さが3倍というのはともかく、想定より大規模な南海トラフ地震が起こるということではないか」といった具合です。
インフルエンサーたちの「解釈」がプラスされることで、予言の内容はより緻密になり、もっともらしさも増して、今や、「7月5日大災害説」は都市伝説界の「常識」と化した感があります。
「半信半疑」の人々も加えれば、この予言を信じている人は、かなりの数にのぼります。ですから、あなたの近くにも、信じている人はいるはずです。
そして、香港や台湾、中国本土でもこの「常識」は周知のものとなり、その結果、彼の国々から日本への旅行客が急減しつつあるといった有り様なのです。そうこうする内に、7月5日まで、10日を切りました。
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「7月5日」も「7月11日」も「7月17日」も、きっと予言は当たらない
ただ、私はこの日に何も起こらないだろうと考えています。
私は、予言や予知を頭から否定する、ゴリゴリの「自然科学教」信者ではありません。
人間にはESP(Extra-Sensory Perception:超感覚的知覚)が備わっていて、通常の五感を通さずに、自分にとって大切な情報を認識する場合があります。昔から、「虫の知らせ」や「第六感」などと言われて来た現象は確かに存在するのです。
「超心理学」の分野では、離れた場所の出来事を見ることのできる「透視」や他者の思考を読み取る「テレパシー」などの存在が実証的な研究により明らかにされつつあります。
「予知」の能力や「念力」の能力も、理論的には存在し得るはずです。近年では、ESP現象への「量子力学」的なアプローチも試みられるようになりました。
ですから、「非科学的」だといった理由で、「予知」や「予言」を否定するつもりはありません。もしかしたら、7月5日に何か大きな災害が起きてしまうかもしれない、とも思います。正直、「半信半疑」です。
それでも、どちらかと言えば、「おそらく大災害は起きないだろう」という「予測」に傾いてしまうのは、私が心理学者だからかもしれません。
社会心理学的に今回の現象を観察していると、こうした「終末予言」的な話を人々が信じ込みやすくなる心理的な「土壌」のようなものが見えてくるのです。(次ページに続く)
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「不安」と「無力感」に支配された社会ほど「予言」が重宝される
「心理的な土壌」という表現は曖昧過ぎるかもしれませんね。具体的に言うなら、現代に生きる人々の多くは「漠然とした不安」と「無力感」を抱えているのです。
キーワードは「不安」と「無力感」の二つです。
社会の多くの人々が「不安」と「無力感」を抱えていればいるほど、もっともらしい「終末予言」は信じられやすくなり、社会的ネットワークで拡散され、共有されるのです。
そして、今の世の中で、「将来に対する漠然とした不安」を抱えていない人の方が珍しいのではないでしょうか。
たとえば、なけなしの貯金をはたいて買った株式、今のところ市況は堅調ですが、明らかにバブル景気、いつ大暴落が起きるか分かったものではありません。
インフレで物価はじわじわ上がり続けています。この先、今のような給料で、生活を維持することができるのでしょうか?
戦争に巻き込まれる可能性だってある。
火山の爆発に大地震、おまけに台風やら集中豪雨の水害、日本は災害列島です。
さらに、不安の原因は、社会や自然にだけ有るのではなく、もっと個人的な問題にも潜んでいるのです。
たとえば「健康不安」。自分自身の「健康状態」に100%の自信を持っている人はめったにいません。
それに「人芸関係」。家族や職場、ご近所との「人間関係」にも心配の種は尽きません。
このような各種の不安が束になってあなたに襲い掛かります。
もちろん、解決できるものにはすぐに手を打つのでしょうが、全てが簡単に解決とは行きません。その結果、私たちは「漠然とした」「慢性的な」不安を抱え込んだままになってしまいます。
「自分ではどうすることもできないことが多すぎる」社会
そして、もう一つの要素「無力感」は、現代社会を生きる者にとって避けては通れない課題です。
「環境問題」であれ「戦争」であれ「経済問題」であれ、「自分ではどうすることもできないことが多すぎる」と思ったことはありませんか?これが「無力感」です。
現代のグローバル化した情報化社会は、あまりにも「巨大化」と「複雑化」が進み過ぎました。
その結果、会社組織であれ、行政組織であれ、個人が取り組む相手としては、あまりにも大きく、あまりにもややこしくなり過ぎたのです。
真面目にこんなモンスターの相手にしていれば、誰だって自分が無力であると思い知らされます。だから多くの若者は「コントロール可能な」ゲームの世界へと逃避するのです。ゲームの中のモンスターなら倒すことができますから。
私たちが「世界の終わり」といった「破滅の物語」に魅了されるのは、私たちが抱え込んでいる「無力感」を「圧倒的に制御不能な出来事」によって相対的に正当化してくれるからです。
たとえば、巨大隕石の衝突を回避できる力を持った個人はいません。制御不能なのはあなたの力が弱いからではないのです。あなたに責任はない。
また、「世界の終わり」といった怖ろしい出来事は「漠然とした不安」の原因をそれにより「説明」してくれます。世界が終わるのですから、不安を感じることは当然です。
そして、「原因」が明らかになった「不安」はもはや不安ではありません。なぜなら、不安とは「原因」が分からない「正体」の不明な感情ですから、その正体が明らかになった以上、もはやそれは不安ではないのです。ただの恐怖です。
恐怖より不安の方が楽なのでは?と考える方もおいでかと思います。しかし、明確な恐怖より、慢性的で得体の知れない不安の方が心理的負担は大きいのです。それに、不安の正体(あくまで予言が当たった場合の話なのですが、信じている間はそれが正体です)が分かると、それなりにスッキリして気分が良くなります。
このように、「破滅の物語」は「漠然とした不安」と「自身の無力感」を説明し、正当化し、一時的に忘れさせてくれます。ですから、これら二要素を強く抱えている人たちほど、「世界の終わり」を信じてしまうのです。
しかも、一旦、この種の「予言」を信じると、「自分は隠された『真理』を知っている」という「優越感」を持つことができます。さらに、この真理を誰かに語ることで、「自分は有意義な行動を実践できる」という「自己効力感」(裏付けのある自信)を高めることもできるのです。「優越感」や「自己効力感」は「無力感」を薄めてくれます。
また、SNSが発達した現代では、こうした「終末予言」を信じている人たちどうしのコミュニティーができやすく、そうした人々のつながりは「孤独」を癒してくれ、お互いを支え合うことができるようになります。
こうした人間関係が「漠然とした不安」や「無力感」を和らげてくれるかもしれません。
「世界の終わり」は怖ろしいことであるのと同時に、全てを「ご破算」にして世界を「リセット」してくれるものでもあるのです。言い換えれば、自分を苦しめ、「漠然とした不安」や「無力感」を植え付けた現代社会、今の世界が、きれいさっぱり無くなり、振り出しに戻るということになるわけです。(次ページに続く)
日本を「不安な社会」にしてしまった与党・政府の責任は重大
社会的な不適応を抱え、どうして良いのか分からない、将来に希望を持てない人々にとって、世界の「リセット」は精神の浄化(カタルシス)につながるのです。
ですから、彼らは「予言」を信じ、まるでクリスマスか何かを待つかのように、「終末」の到来を待ち望むようにさえなるのです。
おわかりいただけたでしょうか?
「終末予言」は無数の傷つき病んだ心が生み出した蜃気楼のようなものなのです。ですから、7月5日に「リセット」はありません。いつまでも幻に逃避せず、眼を見開いて、現実に立ち向かいましょう。
多くの人々が、半信半疑ではあっても「7月5日に大災害がある」という予言を信じているということは、それだけ多くの人々が「不安」と「無力感」に苛(さいな)まれている証拠でもあります。
そんな社会は、とても「健康」とは言えません。
そんな社会にしてしまった主犯格の政府は、「ネットがデマを拡げるから、社会不安が酷くなる」などとメディアで宣伝して、SNSの検閲を強化しようとしています。そんな暇と労力があるのなら、少しでも社会不安を減らす努力をするべきです。
若者が将来に希望を持てるような、昨日よりは今日の方が少しでも良くなったと実感できる改革はいくらでもできるはずです。
そのためにも、まずは、政治から始めましょう。とりあえず、参議院選挙には万難を排して行きましょう。具体的に何か意味のあることをするということは、不安と無力感を減らすための第一歩なのです――。
(メルマガ『富田隆のお気楽心理学』2025年6月28日配信号「7月5日の大災害?」より抜粋、再構成。同号の「タヌキの落とし前」「灰になるまで」は6月バックナンバーからご覧ください。また7月最新号では「無形遺産」「ガラガラポン」「もとの濁りの田沼恋しき」を掲載。こちらもご登録のうえお楽しみください。初月無料です)
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image by: 『私が見た未来 完全版』, 首相官邸ホームページ