渡辺謙のハリウッド進出をプロデュース。タレントとともに“夢は世界”を実現させたケイダッシュ川村龍夫氏の功績

 

ケイダッシュ設立 夢は世界規模

田辺エージェンシーで経験を積んだ川村は、1993年、52歳でケイダッシュを設立する。独立当初から川村には「世界」という大きな目標があったと、以前、筆者に語ってくれたことがある。「日本のショービジネスを世界に通用するレベルまで押し上げたい」という彼の信念は、ただの理想論ではなく、のちに具体的な行動に裏打ちされるビジョンであったのだ。

堺正章、高橋克典、大鶴義丹、永井大、押切もえ、オードリーなど、多くの人気タレントを輩出していく中で、川村の真骨頂が発揮されたのは、渡辺謙の世界進出プロジェクトだった。2002年に渡辺がケイダッシュに所属すると、川村は渡辺のハリウッド進出をプロデュース、全面的にバックアップすることになった。

渡辺謙と歩んだ世界への道

2003年公開の「ラスト サムライ」での渡辺謙のハリウッドデビューから、2015年のブロードウェー・ミュージカル「王様と私」主演まで、川村は常に渡辺の挑戦を支え続けた。ニューヨークに「王様と私」の観劇に来た川村は、お礼を述べようとした渡辺に対して、逆に「謙、本当すごいよな。ここまで連れてきてくれてありがとうだな」と語ったという。

2022年10月、韓国・釜山で開催された「第4回アジアコンテンツアワード」で生涯功労賞を受賞した際、渡辺謙からのサプライズ・ビデオメッセージが流れた。「会長とは二十数年お仕事させていただいておりますが、アカデミー賞、トニー賞、釜山映画国際にも一緒にいきましたね。グローバルな視点が隅々まで行き渡っていい仕事させていただきました」という渡辺の言葉は、二人の絆の深さを物語っている。

人情味あふれる親分肌の人柄

川村の人柄を最もよく表すエピソードのひとつに、マスコミ対応がある。一般紙のみならずスポーツ紙の隅々まで読んでいた川村は、事務所所属のタレントのインタビューやコラムが掲載されると、直接記者に電話をかけて感想を伝えていたものだった。

「きょうのインタビュー記事良かったよ。役者としての魅力がうまく表現されていた。とても良い記事をありがとう」といったような激励の言葉はどの記者にとっても悪い気はしないだろう。

アントニオ猪木との50年にわたる友情

川村の交友関係の中でも特別な存在だったのがアントニオ猪木とのそれだった。約50年にわたる親交は、川村が猪木設立のプロレス団体「UFO」の社長を務めるほど深いものであった。2001年12月31日の「猪木祭り」や2002年の格闘技イベント「UFO LEGEND」ではイベント・プロデューサーとして手腕を発揮する。

「一緒に北朝鮮に行ったり、モハメド・アリに会ったり、思い出は尽きない。いつも夢を語る男でした」と川村の語るアントニオ猪木との思い出は、二人の友情がビジネスを超えた深い絆であったことを示している。

この記事の著者・上杉隆さんのメルマガ

初月無料で読む

print
いま読まれてます

  • 渡辺謙のハリウッド進出をプロデュース。タレントとともに“夢は世界”を実現させたケイダッシュ川村龍夫氏の功績
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け