若手芸人への温かいまなざし
オードリーの若林正恭、春日俊彰をはじめとする若手芸人たちに対する川村の姿勢も、単なる事業者のそれではなかった。彼らの才能を見抜き、ついには東京ドームを満杯にするまでの成長を遂げた彼らにとって、川村は父親のような温かさがあったという。
ケイダッシュステージに所属する多くの芸人たちが、川村の人柄に惹かれて事務所を選んだという話は業界内ではよく知られている話だ。
グループ新年会に込められた思い
毎年1月20日の川村の誕生日に合わせて開催されるケイダッシュグループの新年会は、川村の人となりを象徴するイベントだった。所属タレントのほぼ全員が参加し、関係者を盛大に招く新年会では、タレント、スポーツ選手、マスコミ関係者が川村への新年の挨拶を行うために大行列を作るのが風物詩になっていた。
実際、今年(2025年)の新年会でも、会場の愛宕ヒルズ・グリーンタワーの専用エレベーター前には長蛇の列ができ、田辺エージェンシーの田辺昭知が引退し、バーニングプロダクションの周防郁雄が体調を崩す中、ひとり川村の芸能界での圧倒的な影響力を示すことになった。
満員となったタワー最上階の会場「XEX ATAGO」で、所属タレントの全体撮影の後、川村は約2時間、ほぼ立ちっぱなしで参加者一人ひとりに挨拶を交わしていた。次の予定のため、開始早々辞去しなくてはならなかった筆者が、その無礼を詫びると「忙しいのにわざわざ来てくれてありがとう」と、逆に頭を下げられた。どんなに年齢が下でも相手が誰であろうと、川村のこうした謙虚な姿は変わらない。
スポーツ界との深いつながり
芸能界だけでなく、川村はプロ野球界にも大きな影響を与えた。ケイダッシュの関連会社には日本ハムの新庄剛志監督らが所属するなど、スポーツ界との結びつきも深かった。
薬物使用で行き場を失っていた清原和博選手を救おうとしたのも川村だった。「もう絶対ににやるなよ。確認するぞ、やっていないな。周りが悲しむからな、ぜったいやるな」と諭した直後、再び清原が逮捕されたのを知って誰よりも悲しんだのはほかならぬ川村だった。川村の人脈は業界の垣根を超え、ショービズの世界全体に及んでいた。
最後まで現役として
命のともしびを消す前夜、古都にて、いつもにも増して愉しく過ごした川村が、翌日のチェックアウト時刻までに自分の人生が終わるとは予想もしなかっただろう。とはいえ、心筋梗塞ともいわれる突然の死という散り際までもが、現役として芸能文化の発展に貢献していた川村らしい最期でもあったといえよう。
(後編につづく)
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(『上杉隆の「ニッポンの問題点」』2025年8月1日号より一部抜粋、続きはご登録の上お楽しみください。初月無料です)
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