高市を担いで安倍政治の復活を図る麻生らの謀略を砕け!秋口までに引きずり降ろされる石破が「戦後80年談話」でカマすべき“最後っ屁”

 

「維新から160年」という物差しで歴史を測るという上策

本誌が繰り返し主張してきたように、昨秋たまたまの経緯で首相になった石破にとって、唯一生き延びて政権を維持する途は「安倍的なるもの」を徹底的に炙り出し掘り返して叩き潰して死中に活を求めることであったはずなのに、彼はそこを全く見誤り、逆に旧安倍派や麻生派など「安倍的なるもの」を復活させようとする勢力と何とか妥協し党内に波風を立てないよう心がけた。

その余りに永田町ご町内的な小賢しい姿は、外の国民から見れば滑稽極まりないものと映り、それ故に彼は参院選で敗北した。それはもはや取り返しのつかないことであるけれども、まだ秋口までにはいくつかの巻き返しのチャンスが残っていて、その中でも最大のものは、8月15日の「戦後80年首相談話」で勝負を仕掛けることである。

その勝負には、私のイメージでは、上中下の3策があり、《下策》は、70年安倍談話の抜け穴ボコボコの薄汚い修正主義をきっぱりと否定して、細川を起点にした50年村山、60年小泉の線にまで押し戻すことである。

《中策》は、そこに石破独自の何か――例えばの話、8月6日広島挨拶で述べた「『核戦争のない世界』、そして『核兵器のない世界』の実現に向け全力で取り組む」との覚悟を具体化すべく核禁条約に政府としてオブザーバー参加に踏み切ることを盛り込むとか、村山・小泉でも出来なかった何かを上乗せすることである。

しかし《上策》は、「戦後50年、60年、70年」の延長線上で「80年」を語ろうとすることから一気に飛躍して、「明治維新から160年(正確にはまだ157年だが)」という物差しで歴史を測るという大胆な問題提起にまで踏み込んでしまうことではないだろうか。

参考となる古川禎久衆議院議員の歴史観

その意味で参考になる1つは、元石破派事務総長=古川禎久衆議院議員の歴史観である。彼は「サンデー毎日」8月17・24日号の巻頭に「私の戦後80年談話」を特別寄稿し、次のように述べている。

▼日本は今年、敗戦から80年の節目を迎えます。敗戦に至る歴史を振り返ることで、これからの未来を考える機会にしたいと思います。そのためには、少なくとも19世紀までさかのぼる必要があると私は考えるのです。

▼われらが先人は、西洋列強の植民地化圧力に抗うという悲壮な決意のもとに明治維新を断行し、みずから近代化を目指した。ならば維新の素志は2つで、1つは「日本の独立」、もう1つは「アジアとの連帯」です。

▼西郷隆盛は「西洋は未開の国々を教導するどころか残忍に喰い物にして利益を貪る。これは文明ではなく野蛮だ」と、帝国主義の本質がよく見えていた。“征韓論”のレッテルを貼られた西郷ですが、その真意は真逆で、日朝の連帯、さらには日朝清3国の連帯で西洋帝国主義に抗うのが西郷の本願でした。

▼しかし明治政府は、明治8(1875)年、日本の軍艦がわざと朝鮮国政府を挑発して軍事衝突を引き起こし(江華島事件)、それを口実に日本条約を結ばせた。「天に恥ずべき行いだ」と西郷は怒った。なぜなら、日本のやり方は西洋列強の手口そのもので、自国が西洋からやられたことを、同じ東洋の隣国、永い付き合いのある朝鮮国に対してやった。これが日本の変節、アジアへの裏切りでなくて何でしょう。

▼吉田松陰は、西郷とは違う思想の持ち主で、西洋から日本国を守るには、進んでアジア諸国を切り取り侵略し、領土を広げていくしかないという帝国主義そのものの主張で、その思想は、伊藤博文はじめ明治の指導者に受け継がれ、まさにわが国近代化の基本路線となっていきました……。

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