何をしても報われない人たちが溜め込むルサンチマン
ところが、バブルが弾けて企業が新規採用を控えだし不況が深刻化し始めた、1996年の第41回の総選挙では、戦後初めて投票率が60%を切った。2005年の44回と2009年の45回の総選挙では、投票率は60%台後半まで伸びたが、2012年の第46回総選挙では60%を切り、2014年の第47回以降は50%台の前半で低迷している。
不況にもかかわらず、企業の内部留保金(企業の儲けを現金や金融資産や不動産として蓄えておくこと)は増え続けた(現時点で600兆円を超えている)。儲けたお金を従業員の昇給に使わずに、内部留保金として、金融商品や不動産などに投資して運用すれば、総体として株価は上がり、お金持ちの投資家の資産は増える。一方、給料が上がらない低収入の国民の資産は一向に増えない。こうして、一部の富裕層と大多数の中~下層の国民という2極化が進んだわけである。
経済的なボリュームゾーンが中流から徐々に下流の方に移ってきたわけだ。収入もみんなで落ちれば怖くない、とばかりに、多くの人は自分の生活は人並みだと思っていて、いまだ中流だと錯覚している人が多いようだが、他の先進国と比較すれば明らかなように、日本のボリュームゾーンは下流に傾いてきた。
かつて、ほとんどの人が中流だった頃、多くの人は政治を動かせば、収入が増えると考えていた。それは投票率の高さに反映されていた。池田勇人内閣が1960年に唱えた所得倍増計画に代表されるように、多くの人は政治に期待して、多かれ少なかれ、それは実現した。しかし、ここまで、経済的な分断が進むと、中流より下の人々の中には、政権が変わっても収入は増えないので、投票しても無駄だという気分が蔓延してきた。
自分の経済的状況に不満な人たちの投票率が下がるのは政権にとって有利で、かつては、投票率の高い経済的なボリュームゾーン(中流)の経済状況を改善することが、政権の維持にとって重要だったのと反対に、経済的な分断を進めて、無関心層を増やす方がむしろ政権の維持に有利になってきたのである。
そうは言っても、経済的にあるいは社会的に、何をしても思うように報われない人たちのルサンチマンは溜まってくる。この人たちの怨念はどこに向かうのか――(『池田清彦のやせ我慢日記』2025年8月22日号より一部抜粋、続きはご登録の上お楽しみください。初月無料です)
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