■二つの疑問
二つ、疑問があります。一つは、挙げられているすべての要素を満たせる人間なんて存在するのかどうか、ということです。もちろん、上記のような要素が満たされていたら嬉しいのは嬉しいでしょう。でも、それは現実とあまりに乖離した理想かもしれません。
それと関係することですが、もう一つの疑問は、上記のデキなさの多くは、働き手ではなくマネージャーの能力に起因する問題ではないか、ということです。たとえば「指示やアドバイスを聞かない」ですが、聞いてもらえるように言えていない可能性があるでしょう。どんな言い方であっても部下は耳を傾け、受容すべきだという信念はほとんど軍隊のノリです。
むしろ、個々の人をみて、適切にメッセージの表現方法をかえられるのがマネージャーの技能ではないでしょうか。そのような技能不足を検討せずに、「デキない」というレンズを通して現実を見ることは、高すぎる理想を働き手に押しつけていることになります。
そう考えると「仕事ができない」は、それを達成する能力が不足しているという意味で使われていますが、「うまく仕事をさせてもらえていない」(仕事をしたいのに、それができない)という意味が実態に近いのかもしれません。
■具体的にそれぞれ異なる能力
ある人は明るくて、いろいろな人とすぐ仲良くなれるけども、細かい情報処理には向いていない。別の人は寡黙で、人と積極的なコミュニケーションは取れないけども、精緻な数字の管理に向いている。
そういう違いは、ごくふつうに、どこにでも存在しています。でもって、上記で挙げたような目立つ違い以外にも、微細の違いはたくさんあるでしょう。可能であれば、その人が持つ能力のうち、得意に発揮されるものを仕事に活かしてもらいたいものです。
だとしたとき、「仕事ができない」という言葉の乱暴さには唖然とさせられます。そこでは「どんな仕事なのか」がまったく明言されていません。非常に大きく「仕事」という括りが使われています。
たとえば「営業の外回りが苦手」なのかもしれません。「ファイルの整理が苦手」なのかもしれません。「事務作業をコツコツやっていくのが苦手」なのかもしれません。他にも具体的なレベルでさまざまな内容が考えられるでしょう。
そういう具体的な話をまったく無視して「あいつは、仕事ができない」などと評価することの雑さについては、三日くらいはじっくり考えたほうがいいと思います。
仮に仕事ができないとして、どんな仕事ができないのか。そこで「仕事」と呼ばれているものの内実とは何なのか。
その思考を飛ばすマネージングは怠惰でしかありません。
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