■良い仕事をしたい
「仕事」という言葉の曖昧さは、別の場面でも問題を引き起こします。
たとえば「良い仕事がしたい」と思ったとしましょう。基本的には立派な心がけだと思います。しかし、その”仕事”が具体的に定義されていなければ、どうやって「良い仕事ができたか」を判定できるでしょう。判定そのものに曖昧さが残り続けます。それはつまり、「もっと~~できたのに」という忸怩たる思いが忍び込んでくるスペースが空いていることを意味します。
多少言葉を変えても同じです。物書きである私が「良い本を書きたい」と考えたとして、その定義が不安定だと、一つひとつの仕事に対して判断を下すことはできません。
・自分が内容に納得できる本
・ものすごく売れた本
・読者さんに楽しんでもらえた本
どのような基準を設けても構いません。ともかく、その実態がどういうものかを具体的にしておくことです。
場合によっては、そうして具体的にしてみたら「これはちょっと盛りすぎだろう」と思うかもしれません。逆に「これらすべてを満たしてやる!」と燃える気持ちになるかもしれません。そうした反応は人それぞれなので、基準をどう設定するのかに正解はありません。
しかし、一段階具体的にすることで、それについて考えやすくなる効果だけは間違いなくあります。今後磨くべきスキルがわかったり、よりいっそう取り組むべき課題が明らかになったりなど、具体的な行動が促進されるのです。
もちろん、仕事を実際にやってみた結果として、「良い仕事」の定義が変わることはありえます。これは自分が求めているものではなかった、とわかるのです。そのときは、改めて定義しなおせばよいのです。
言葉を定義することは、この世界のコードに直接書き込むことでもなければ、基盤に直接焼きつけることでもありません。それは、ソフトウェアなのです。
■さいごに
「仕事」という言葉の曖昧さ(あるいは包括性の高さ)は、日本特有のものなのかどうかはわかりません。しかし、職務ごとの明確なジョブディスクリプションもほぼなく、職場が全員一丸となって業務に取り組む文化では、「仕事」という言葉はどんどん包括的になっていくだろうことは予想できます。
しかし、文化であるならば、変化していけます。
「仕事ができない」と人をくさすのではなく、具体的に困っていること、あるいは得意なことを見て、適切な割り当てを考えていくこと。そして、そうした能力がある人間が、マネージャーとして適切に評価されるようになること。そういう変化を期待します。
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