思いがけなく飛び込んできた公明連立離脱の「吉報」
自公連立に維新が近づきにくかったのは、公明党が維新を加えることを嫌がっていたからでもあった。公明にとって維新は大阪で激しく選挙戦を繰り広げた宿敵だ。維新の看板政策「副首都構想」に対しても慎重姿勢だった。
そこに思いがけなく飛び込んできた公明連立離脱の報。チャンスがめぐってきたと感じた吉村洋文代表は自民党への根回しを遠藤敬国体委員長に指示していた。
麻生氏が乗り出してきたことはさらに維新を勇気づけた。麻生氏と国民民主との良好な関係、そして麻生氏が維新と親密な菅義偉氏を嫌っていることからみて、高市自民党と組むのは、かなり難しいと維新は考えていたのだ。
ここからとんとん拍子に話は進んでいく。朝日新聞(10月17日)で、高市総裁の動きが以下のように報じられた。
公明の連立離脱表明から一夜明けた11日、高市は維新の遠藤敬国体委員長の携帯を鳴らした。「国民民主はもう来ないと思う。協力してほしい」両氏は旧知の仲。遠藤は「政策をしっかりやってくれるなら、いいですよ」と助け舟を出した。
遠藤氏は、ふだん東京にはいない吉村氏から他党との折衝についていわば“全権委任”を受けた立場。高市氏とは今年の夏ごろ、ひそかに会食していた。電話を受けた遠藤氏は即座に高市氏からの協力要請を藤田文武共同代表に伝えた。
その日、藤田氏は大阪市内にいたため、さっそく吉村代表の耳に入れることができた。むろん、維新とすれば“渡りに船”だ。自民側について“高市首相誕生”に協力したら、その代わり、念願の「副首都構想」を実現する道が開かれると思うからだ。
維新側から色よい返事を受けた高市氏周辺は「うちと組んでくれるなら、副首都なんて丸のみでいい」と欣喜雀躍。その後、高市氏から直々に電話をもらった吉村氏は「本気で話を聞きます」と声を弾ませた。
高市氏は14日、東京都内での講演で「自民党総裁になったけれど『総理にはなれないかもしれない女』と言われている、かわいそうな高市早苗です。…こういう時も諦めない。首相指名のその瞬間まで、あらゆる手を尽くす」と語ったが、その時にはすでに維新から確かな手ごたえをつかんでいたのだ。
同じ日、梶山国対委員長が遠藤氏と都内某所でひそかに会談。翌15日午前にも二人が会って、その日のうちに自民と維新の党首会談を開くことが一気呵成に決まっている。吉村氏は大阪でテレビ出演したあと急きょ上京し、夕方になって高市氏と会談した。
15日の午後といえば、立憲、維新、国民の3党首が首相指名選挙に向け野党候補一本化について協議している最中だった。その場にいた玉木氏は後になって維新の秘密裏の動きを知り、自身のYouTube番組で、こう語った。
「野党の統一候補を目指して、けっこう藤田さんも真剣に議論していただいてたなと思っていたんですけど、なんだそれはもう自民党と連立で握ることが決まってたのか、みたいな感じで、ちょっとなんか、二枚舌みたいな感じで扱われて、我々としては残念だなと思いました」
この率直さは玉木氏の美徳だが、いつものことながら脇が甘い。自民と立憲のどちらにつくのが有利かと、二股かけて逡巡しているうちに政治状況が一変。政局の“主役”は維新に移っていた。
公明党が連立を離脱した10月10日以降、政局は激動した。立憲、維新、国民の主要野党3党がまとまれば、政権交代も可能な情勢になったからだ。三党そろって玉木氏に投票し政権交代を実現しようという立憲の提案に、維新はいかにも関心があるかのような素振りを見せていた。しかし、他の野党が知らぬ間に、維新は自民に急接近していたのである。
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