議会制民主主義は日本を救ったのか?福澤諭吉と昭和史から考える政治の限界

 

●政治の崩壊を言い当てた岩倉具視の予言

明治時代、政府の実力者だった岩倉具視は、議会の開設になかなか賛成しませんでした。

岩倉はその理由として

「日本で議会などをつくれば政党同士が足を引っ張り合うだけになる」

と述べたそうです。

この岩倉の言葉は、後の日本を言い当てることになります。

というのも、昭和になってから日本が泥沼の戦争に陥っていったそもそもの原因は、政党の足の引っ張り合いだったからです。

昭和初期の政治史は、「当時は一応、政党政治が行われていたが、軍部が台頭してその政党政治も終わってしまった」という解釈がされていることが多いものです。

さも軍部のせいで、政治が乱された、というような。

しかし、政治史をちょっと掘り下げてみれば、それは誤りであることがわかります。

昭和初期の日本では、男子のみながら普通選挙が達成されており、一応、民主国家となっていたのです。

あまり顧みられることはありませんが戦前の日本が戦争ばかりの時代に突入していくのは、「普通選挙」が実施されて以降のことなのです。

そして、普通選挙が行われた昭和元年ごろ、日本の政局は政友会と民政会の「二大政党制」となっていました。

この二大政党制の泥仕合が、軍部の台頭を許すきっかけを作ってしまうのです。

昭和初期の軍部の暴走には、「統帥権」が大きく関係しています。

明治憲法では、陸海軍は、政府の管轄ではなく、天皇の直属機関というように定められていました。

これがいわゆる天皇の統帥権です。

つまり軍隊は、政府の命令ではなく、天皇の命令を聞くこと、ということになっているのです。

昭和初期の軍部は、これを拡大解釈し、政府の言うことをまったく聞かないようになったのです。

それが、満州事変以降の軍部の暴走の要因の一つだといえます。

この天皇の統帥権は、昭和に入るまでは、それほど問題はありませんでした。

表向き、軍は天皇の直属であっても、開戦などは政府が決定しており、事実上、政府が軍をコントロールしていたのです。

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