エノク書が語る「7倍の光」とは?
ウィルコック氏はルナ議員から、こう告げられていたという。
「エノク書を見なさい」
エノク書は、正統な聖書の編纂過程で外典として除かれ、長らく「異端の書」として歴史の陰に置かれてきた、いわば忘れられた聖書である。
その第80章には、罪の時代において、太陽が本来の秩序を超えてはるかに明るく輝くようになる、という記述がある。
これは現代の科学者たちが懸念する「マイクロノヴァ」──太陽の小規模な爆発現象、いわゆる文明のリセットを引き起こしうる「ソーラーフラッシュ」の描写と、奇妙なほど重なって見える。
さらに91章17節には、最後の審判のあとに訪れる新しい世界について「天のすべての力が7倍の光を放つようになる」という一節がある。
旧約聖書イザヤ書30章にも「日の光は7倍となり、7つの日の光のようになる」という、よく似た記述が存在する。
時代も文脈も異なる複数の書物が、同じ「7倍の光」というイメージを語っているのは、単なる偶然として片づけてしまうには、少し出来すぎているようにも思える。
なぜ今、このタイミングで、この古い書物が引き合いに出されたのか。
ウィルコック氏はこの現象を、単なる災厄としてではなく「アセンション」・・・意識の進化のきっかけとして捉えていた。
強い光のエネルギーが人類のDNAに深く働きかけ、古い支配の構造をゆっくりと焼き払っていく、浄化のプロセスだと。
かつて人類は大洪水という「水」によって浄化されたと、聖書は語る。
今度は「光」によって浄化されるのかもしれない、というわけだ。それは恐ろしい話であると同時に、どこか、長く眠っていた記憶が呼び覚まされていくような、静かな高揚感を運んでくる気がしてならない。
ウィルコック氏は、聖書の中にも宇宙の存在の確固たる証拠を見出していた人物である。
ヨハネによる福音書10章16節の「私にはまたこの囲いに入っていない他の羊がある」という一節を、彼は「囲い」を地球、「他の羊」を地球外の文明として読み解いていた。
イエス・キリストという存在を、地球という狭い枠だけの救世主としてではなく、銀河全体のロゴス、つまり精神そのものとして捉える視点である。
ディスクロージャーが実際に起きれば、私たちは古くから語られてきた種族たちと向き合うことになる、とも彼は語っていた。
標本化されたバイオロボット的な側面を持つグレイ。
北欧の人々によく似た、高次元的な存在とされるノルディック。
太古から地球の影の部分を支配してきたとされるレプティリアン。
そして、高度な集合意識を持つとされるインセクト。
これらはもちろん、現時点で科学的に実証された話ではない。だが、こうした「物語」がここまで長く、繰り返し語り継がれてきたこと自体が、少なからず興味深く映る。
僕らは、目に見える隣人だけでなく、目に見えない隣人たちの気配を、どこかでずっと感じ取ろうとしてきたのかもしれない。
さて、ここから先は、あくまで一つの「物語」として、肩の力を抜いて聞いてほしい。
もしソーラーフラッシュが本当に周期的な宇宙的現象だとしたら、そこから身を守る場所として、月の裏側が語られることがある。
地球からの電波が一切届かない静寂の地であり、月という巨大な質量そのものが、太陽から放たれる過酷な放射線に対する天然の遮蔽物になる、という発想だ。
近年のアルテミス計画の異常な加速ぶりを見ていると、単なる科学探査や資源開発以上の意味を勘繰りたくなる人がいるのも、わからなくはない。
そして、こうした「そっち系」の想像力は、最近の世界の指導者たちに対する言い知れぬ違和感・・・以前とはどこか様子が違う、統治にどこか一貫性を欠いている、という感覚とも結びつけて語られることがある。
真偽のほどは、誰にもわからない。
だが、こうした「物語」がこれほど広く語られること自体が、僕らがこの世界の表層に、何かしらの違和感を静かに抱いている原因なのかもしれない。
さて、ウィルコック氏をはじめ、多くの探求者たちが待ち望んでいるのは「開示(ディスクロージャー)」である。
誰かが、どこかで隠している真実を、公式な場で明かしてくれる日を、じっと待っている。
けれど、施術を通じて14万人以上の身体に触れてきた僕の実感として、はっきりと言えることがある。
本当に大切な真実というのは、外側から発表されるのを待つものではない。僕らの内側に、もうすでに刻まれているものなのだ。
宇宙・創造主とつながっていたという記憶。
争いのない世界を、かつて確かに知っていたという感覚。
それは情報として外から与えられるものではなく、静寂の中で、ふと思い出すものである。施術台の上で、ふっと肩の力が抜けた瞬間に、言葉にならない安心感がクライアントの表情に広がる、あの瞬間と、それはよく似ている。
現代人は情報と刺激に埋め尽くされ、その記憶に幾重にも蓋をされている。
46本のビデオが開示されようとされまいと、月の裏側に何が隠されていようといまいと、僕らの細胞は、もうすでにその記憶を抱えている。
政府の発表を待つ必要はない。エノク書の12の窓から炎が吹き出す日を、恐れながら待つ必要もない。
ただ、静寂に耳を澄ませればいい。言いたくないが、そうそう真実は出てこない。
体の力を抜き、呼吸を深くし、情報の洪水から一歩だけ離れてみる。ほんの数分でいい。スマホを閉じ、目を閉じ、自分の呼吸の音だけに意識を向けてみる。
そのとき、頭で理解する「知識」としてのディスクロージャーではなく、細胞で思い出す「感性」としてのディスクロージャーが、ごく静かに始まっていく。
これこそが、僕がずっとお伝えしてきた「テレパシック感性」である。
誰かが真実を暴露してくれるのを待つ生き方から、自分の内側にすでにある記憶を、自分自身の手で少しずつ思い出していく生き方へ。
外の情報がどれだけ揺れ動いても、あなたの中の静寂だけは、誰にも奪うことができない。
ウィルコック氏が最後まで追い求めた「開示」を、今度は僕ら自身の内側で、そっと起こしてみる。それが、彼の探求を、いちばん静かな形で受け継ぐことなのかもしれない。
今日も、その静寂に一歩近づけますように。
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