昭和天皇の崩御に際して約1万人が参列し、100億円もの費用が投じられた「大喪の礼」。その前後には長期間にわたる自粛ムードが社会を覆い、皇室の方々にも「殯」をはじめとする数多くの行事が大きな負担を強いることとなりました。今回のメルマガ『国家権力&メディア一刀両断』では元全国紙社会部記者の新 恭さんが、自らの葬儀の簡素化を望む上皇さまの思いを「おことば」から読み解くとともに、現在まで続く皇室の葬送儀礼の成り立ちを検証。さらに明治政府が「国民統合」のために復活させた「殯」の歴史をたどりつつ、現代の皇室に求められる儀礼やしきたりのあり方を問い直しています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:上皇さまが望む「葬儀の簡素化」と明治の亡霊
「おことば」で語られた率直な思い。上皇さまが望む「葬儀の簡素化」と明治の亡霊
天皇や上皇が崩御したさい、一般の告別式にあたる皇室行事「葬場殿の儀」が営まれる。この儀式を大幅に簡素化する案を宮内庁が検討していると新聞各紙が報じた。
かねてから葬儀をめぐるある“思い”を口にしていた上皇さまの意向を受けたもので、「葬場殿の儀」を皇居・宮殿で行い、参列者は約2,500人に縮小するという。
昭和天皇の崩御にあたっては、「葬場殿の儀」とともに、国の行事である「大喪の礼」が1989(平成元)年2月24日に行われた。新宿御苑を会場として、海外の首脳を含む約1万人が参列。大規模な交通規制が敷かれ、費用は100億円に膨らんだ。世間では、結婚式の延期など自粛ムードが長期間にわたって続いた。
2016年8月、今の上皇、すなわち当時の天皇は国民に向け、ビデオメッセージで「おことば」を表明した。
「天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます」
国民に寄り添う天皇でありたいと願い、それにふさわしい皇室のあり方を模索し続けてきた上皇さまらしいコメントだった。とりわけ胸を打たれたのは次のお言葉である。
「更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き、その後喪儀に関連する行事が、1年間続きます。その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります」
家族を思いやる「人間・天皇」の姿がここにある。「重い殯の行事」「残される家族は、非常に厳しい状況」…。昭和天皇を葬送した上皇さまが、ご自身の体験から滲み出る率直な思いを語っている。
昭和天皇の場合、2月24日の「大喪の礼」の後、埋葬されるまで約50日間にわたって「殯」の儀式が続いた。うち37日間は皇居・宮殿「松の間」の「殯宮(ひんきゅう)」にひつぎが安置され、生前に好んだ食事が毎日供えられ、10日ごとにお祭りも営まれた。
「殯」をはじめとする多くの行事が皇室の方々にもたらす大きな負担に思いをはせなければ、陛下のお気持ちは理解できないのではないか。
「殯」は明治天皇の崩御にともなって明治政府が復活させた行事だ。以下は古代の「殯(モガリ)」についての記述である。
死者を感情の上では断定的に死んだものとは認めきれずに、死屍を安置したところつまり喪屋で故人の遺族とか関係者が、当人がさながら生きていますかのごとくに接して、食事や歌舞を共にしたり、哭泣してよみがえりを切願したりする。それを連日連夜にわたってつまり通夜して行う。これがモガリである。
(和歌森太郎著作集「古代の宗教と社会」より)
天皇の葬儀で、モガリが営まれたのは、571年4月に死去した欽明天皇が最初だとされる。だが、721年の元明天皇の葬儀以降、実質的に廃止された。
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