日本中に広がった「自粛せざるは非国民」という空気。上皇さまの「おことば」で問われる“重い殯(もがり)”の存在意義

 

明治天皇の葬儀で「殯」を復活させた明治政府の事情

「殯」が、明治天皇の葬儀で復活した背景には、明治政府の事情があった。16歳の明治天皇を押し立てて王政復古の大号令を発した維新勢力は「神武創業」をスローガンに、政権の正統性を主張した。

天皇が祭政一致で治世していた神武天皇の時代に戻るべきという後期水戸学や国学のイデオロギーをよりどころに、神道を国教化し、宮中祭祀を重んじ、神聖なる天皇を中心に国民を「統合」しようと動き始めた。

明治天皇の大喪は、全国民を巻き込むために“発明”された国家神道の壮大なページェントだった。「殯」の復活は、古代からの連続性を意識したからでもあろう。

7月30日に死去した明治天皇の棺は8月13日、宮中の正殿に設けられた「殯宮」に移され、それから1か月間にわたり、天皇、皇后、皇太后は毎日、殯宮に拝礼した。葬儀は東京・青山練兵場(現・神宮外苑)で9月13~15日に行われ、京都・伏見桃山に造営された陵に埋葬された。大正天皇の大喪も、明治天皇のそれにならって営まれた。

上皇さまが、「おことば」表明で「重い殯の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き」と述べられたのは、国民統合の「象徴」となった戦後の天皇の葬儀のあり方として果たしてふさわしいのだろうか、あまりに国民とかけ離れすぎてはいないか、という疑問を持たれているからに違いない。

昭和天皇の死が、社会生活に与える影響がいかに大きかったかは、一定の年齢以上の人なら記憶しているはずだ。「自粛をしないのは非国民」といった空気が世の中に広がり、商店街のセールやお祭りから、クリスマスのイルミネーション、にぎやかな音楽にいたるまでが凍結された。

上皇さまは皇室の伝統を重んじつつ、できる限り今の国民の考えや価値観に合う「象徴天皇」であろうとされてきた。宮内庁が2013年に陵の敷地面積を昭和天皇、香淳皇后陵の8割ほどに縮小し、土葬を火葬に変える方針を発表したのも、そうした意向があったからだ。

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