ビハリ・ボースは大戦が始まると、日本軍の全面協力を得て、マレー半島などで捕虜となったインド人英兵を集め、英国と戦うための軍隊「インド国民軍(INA)」を組織した。
この指導権を引き継いだのが、チャンドラ・ボースである。
ガンディーの非暴力路線に限界を感じ、ドイツを経て1943年に来日。東條英機首相の全面的なバックアップを取り付け、シンガポールで「自由インド仮政府」の樹立を宣言。
自ら首相兼最高司令官となり、日本と共に英国へ宣戦布告する。
1943年11月、東京でアジア各国の指導者が集まる「大東亜会議」が開催され、チャンドラ・ボースは、オブザーバー(陪聴者)参加し、圧倒的な弁論とカリスマ性で会議をリードする。
東條首相は、インドを大東亜共栄圏(日本の勢力圏)に組み込むのではなく、「完全に独立した対等な友好国」として扱うと明言するなど、独立を強力に後押しした。
しかし日本の戦況が悪化し、同盟関係はインパール作戦の失敗等、悲劇を生み出す。
日本の敗戦とともに自由インド仮政府とインド国民軍は崩壊し、チャンドラ・ボースも日本への亡命の途上、台湾での航空機事故により悲劇的な最期を遂げた。
悲劇に終わった日印の共闘ではあるが、これは戦後のインド独立に決定的な影響を与える道しるべとなった。
今でもこの2人のボースはインドの英雄である。
だからこそ、ボースと新宿中村屋、そしてそれをかくまった相馬黒光の精神性に光を当てる必要があるのだ。
イベントのメーンである講演「中村屋のカレー誕生の前史──相馬黒光が受けた教育」ではフェリス女学院大学の小檜山ルイ学長が、相馬黒光の生まれ故郷である仙台、そして横浜で受けた教育に着目し、黒光の人間性や精神性がどのように形づくられていったのかを紹介した。
「迷う時間」「貧困」「失恋」「クリスチャン・コミュニティ」などをキーワードに、黒光の人生や考え方について説明した。
ここには生身の人間がおり、それが教育によって慈悲や優しさを実践することが育まれ、世界史を揺るがす事案に関わることになる。
そのつながりの不思議さは、教育があってのことであり、他者のために、という高潔な精神性があってのことなのだろう。
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