もともと人徳や器量で上に立っていたわけではない世耕氏の行く末
世耕氏は離党後、24年10月の衆院和歌山2区に立候補、二階氏の三男、伸康氏に約3万票の差をつけて制した。26年2月の衆院選では、自民党が公認候補を立てず、世耕氏の支持を表明したため、楽々と勝利が転がり込んだ。
それでもまだ「世耕王国」は築けていない。二階陣営との対立関係はいまだにくすぶっている。
自民党和歌山県連は今年6月の拡大委員会で、参加者約100人に対して、世耕氏復党をめぐる意識調査を無記名で実施した。その結果報告を見た党紀委員会の浅尾委員長は「賛成多数と記されているのみで、ぜひ(復党を)お願いしたいといった内容は付されていなかった」と語っている。県連に世耕復党への熱量は感じられないということのようだ。
世耕氏と二階氏の側近である鶴保庸介氏の“新・紀州戦争”もクローズアップされた。25年7月の参院選には、鶴保氏が支援する二階氏の三男・伸康氏が前年衆院選の雪辱を期して出馬したが、落選。世耕氏が推す望月良男前有田市長が当選した。二度にわたって伸康氏を蹴落とした世耕氏に対し、二階氏の影響力が残る県南部の地方議員たちの怒りはいまもおさまっていない。
世耕氏が党を去った後、野党や無所属議員との間で培った人脈を生かして参院を牛耳ってきたのが石井準一氏だった。少数与党の参院において、野党と話ができるその存在は自民党の国会運営にとってきわめて貴重だったはずだ。
ところが、2026年度予算案を年度内成立させようと躍起になっていた高市首相は、自らが決行した解散・総選挙で審議入りが遅れたことを棚に上げ、4月7日に成立がずれ込んだ責任を石井氏に転嫁し、9月の党人事で参院幹事長の座から追いやった。
しかし、石井氏は参院自民党で40人をこえるグループ「自由民主党参議院クラブ」を率いており、いぜんとして「参院のドン」といわれる影響力を保っている。
その石井氏が、かつての「ドン」の復活を望むはずがない。世耕氏は自民公認候補と争うなど事実上の「反党行為」をしてきたと指摘し、「時期尚早。非常に自分勝手な判断だ」と復党への動きを批判している。
こうした党内の空気感が、党紀委員会の判断に影響している面は否めない。もともと世耕氏は人徳や器量で上に立っていたわけではない。参院幹事長というポストを盾に幅を利かせていたのであって、それだけに恨みを持つ議員も少なからずいた。
お気に入りを年次や派閥に関係なく閣僚に迎え入れる独断専行型の高市首相をもってしても、裏金事件で離党し衆院への鞍替え出馬をめぐって党内の反発を買っている世耕氏の復党を党紀委にごり押しすることはできなかったということか。党内にハレーションを起こし、来年の総裁選に波及することのないよう、安全策をとったとも考えられる。
世耕氏はNTT時代に身につけた広報宣伝技術の高さを誇り、安倍元首相から参謀役として重宝されてきた。たしかに理路整然として有能だが、小賢しさが勝ちすぎるのが災いし、嫌われやすい弱点がある。
内閣広報室の来年度予算を今年度の10倍にも増やそうとしている高市首相が、安倍元首相にならって世耕氏を重用するつもりがあるのかどうか。そのあたりが、世耕氏の今後を左右しそうだ。
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