「抱かれたい男NO1」の斎藤工さんは無名の頃、「人妻温泉」という深夜番組のキワモノコーナーに出演してたとか。周囲から見るとまさに黒歴史ですが、本人曰く「あの頃の経験のおかげで今の自分がある」のだそうです。今回の無料メルマガ『システマティックな「ま、いっか」家事術』では著者の真井花さんが、「黒歴史を消してしまいたい」と悩むことの無意味さを論じています。
黒歴史をどうするのか
さて、本日は消せないもののお話。
家庭生活でも子育てでも、実に長大なのが
- 黒歴史(●_●)
ですよね。あ、サラダボウルを割ったのも、バラの枝を切りすぎたのも、セーターに虫食いの穴を作ったのも、シンクに落ちないシミをつけたのも、私ですよ。ハイ(;▽;)ええ、ハイ。
ま、こーゆーことはですねえ、それぞれの
- ココロに秘められている
ものです。手痛い失敗、恥ずかしい思い出、みっともない振る舞いなどなど。ここで考えるのが
- 消してしまいたい…
という思いです。『なかったこと』にしたくなるんですよね。もちろんそんなことは出来なくて、起きたことは、やっぱりちゃんと『起きた』ままで、それをずっと抱えて生きていくしかないんですよね。
ところがね。これを実際に『なかったこと』にしている場所があるんですよ。そう、
- 学校
です。学校では頻繁に生徒のノートを集めてチェックしたりドリルや問題集などを提出させたりしますよね。そのとき最も理想的と思われている(と思われる)のが
- 全問正解
ではないでしょうか。一問目から解答例の通りの過程を経て、正解に至っているもの。書き間違いがなく、計算間違いがなく、美しい。ちょっと間違えてしまっていたら、全部消して書き直ししてから提出。
…………………………………………………( ̄∇ ̄)
これって要するに、解答における黒歴史を否定しているわけです。
- なーんだ、そんなこと?
じゃないと思うんです。この意味は大人はよくよく考えてみるべきです。
ミスやキズがないことが過度に尊重されてしまうと、ミスやキズがついた時点で
- もうダメだ(`3`)
ってスネたくなりませんか。ミスやキズがあっても良く、むしろその方がフツーであり、それを通って今ここに至ったのだというあり方は現実的であり、また潔いと思うんです。
ですが、繰り返し過度に『美しい』解答を学習過程で繰り返し求められ続けると、ミスやキズを現実的で潔いなどとは受け止められなくなってしまうでしょう。あったことは無かったとには出来ないのに、無理に無かったことにしようとすれば、それは精神的にも大きなストレスになるはずです。
だいたい人生、上手くいくことばかりじゃないし、上手くいくばかりがイイとも限らないし、だからフツーはそんなこんなも抱えたまま生きいくもんですよね。