元首相が白昼、凶弾に倒れました。政治家が直接有権者にその考えを訴える選挙演説の場では、これまでも度々凶行が起きてきました。そうした事件の一つ、1960年に起こった日本社会党委員長浅沼稲次郎刺殺事件を振り返るのは、評論家の佐高信さん。今回のメルマガ『佐高信の筆刀両断』では、事件がなければ続けられるはずだった演説の結びと、その後の社会党葬で朗読された追悼詩を紹介しています。
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テロの先例
1960年10月12日、日本社会党委員長の浅沼稲次郎は日比谷公会堂の壇上で演説中に17歳の少年に刺殺された。選挙を目前にした3党首立会演説会でテレビで放映していたため、その瞬間も“実況中継”のようになった。
「問答無用」のシンボルともいうべき61歳の浅沼の巨体を「問答無用」のナイフが斃し、その命を奪ったのである。
「ああいう奴が左翼にいるっていうのは口惜しいことですね」
浅沼を殺した山口二矢は、浅沼について、こう語ったという。その魅力を認めてである。
「人間機関車」と綽名された浅沼は、東京は深川のアパートに住み、部屋の窓から、表の紙芝居を近所の子どもと一緒に見ながら、「翻訳社会主義では労働者は動かないよ」と言って、全国をかけめぐった。
テロが起こった時は、社民党現党首の福島瑞穂は4歳だったが、のちに、社会党支持者の両親から、その事件のことを聞かされる。「アカの手先」「バカヤロー」と浅沼を罵る右翼の声はすさまじく、演説の声も聞こえないほどだった。
山口は最初、テロの対象として、浅沼の他に当時の日教組委員長の小林武、共産党議長の野坂参三、社会党左派の松本治一郎、自民党「容共派」の石橋湛山と河野一郎の5人をリストアップし、最後に浅沼に絞った。
テロによって中断されたが、浅沼は演説をこう結ぶはずだった。
「どんな無茶なことでも国会の多数にものを言わせて押し通すというのでは、いったい何のために選挙をやり、何のために国会があるのか、わかりません。これでは多数派の政党みずから議会政治の墓穴を掘ることになります」
「政府みずからが憲法を無視してどしどし再軍備を進め、最近では核弾頭も一緒に使用できる兵器まで入れようとしておるのに、国民に対しては法律を守れと言って、税金だけはどしどし取り立ててゆく。これまでは国民はいつまでも黙ってはいられないと思います」
同年10月20日に同じ日比谷公会堂で開かれた社会党葬では、次の草野心平の追悼詩が朗読された。
死んだ沼さん
途方もなく善意の人だった沼さん。
あなたは死にきれない。
死にきれない思いで息をひきとった沼さん。
死ぬまぎわにも死ぬことを意識しなかっただろう沼さん。
あなたはもう永久に
夢みることすら出来なくなりました。
けれども けれども然し
その全生涯を行動してきたあなたの正義の夢は
沼さん、断じて死なない。
その夢を生かせ。
その夢をたちきったものを そのすべてをあばけ。
日本の現在をたちきったものを そのすべてをあばけ。
日本の現在のために、未来のために。
これから 生まれる新しい歴史のために。
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