北朝鮮による日本人拉致問題を解決困難にした日本政府の真意はどこにあるのか。幻の平壌電撃訪問、石破政権も期待薄?

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「岸田総理が北朝鮮の平壌を電撃訪問か」との情報にマスコミが色めき立ったのは昨年2~3月頃。水面下で続いてきた非公式交渉が実を結ぶと期待されていた。ところが、この計画はその後、日本側の不自然な対応により消滅。2025年6月現在、日本人拉致問題をめぐる日朝交渉はまったく進展が見られなくなっている。なぜ北朝鮮は態度を硬化させ、日本政府を相手にしなくなったのか?ジャーナリスト・衆議院議員の有田芳生氏がその背景を解説する。(メルマガ『有田芳生の「酔醒漫録」』より)
※本記事のタイトルはMAG2NEWS編集部によるものです/メルマガ原題:北朝鮮拉致問題で隠された真相

北朝鮮はなぜ日本政府を相手にしなくなったのか?

日朝交渉が進まない。つまりは拉致問題の解決に進展がない。

拉致議連や「家族会」などがアメリカに行き、政権関係者と面談し、拉致問題の解決への協力を求めても、それはそれとして意味あるロビー活動だが、日朝交渉と拉致問題の解決は日本独自の課題である。

2002年9月17日の小泉純一郎総理の訪朝によって北朝鮮が「拉致被害者5人生存、8人死亡」と明らかにして「日朝平壌宣言」が結ばれたとき、日本の世論は最高度に沸騰した。横田めぐみさんたちが「死亡」とされたからだ。

あれから23年。さまざまな努力はあったが、結果として日朝交渉は進まず、拉致被害者はひとりも取り返すことができていない。2002年に66歳だった横田早紀江さんは89歳になった。

日朝交渉に前向きな気配があれば希望もあるだろう。岸田文雄政権のときは、日朝交渉の機運が一時的だが生まれた

だが2024年10月に石破茂政権になってからは、言葉だけ2018年の安倍晋三政権時から同じフレーズ「金正恩委員長と条件を付けず直接向き合う」を踏襲しているが、実態はどうなのだろうか。

非公式交渉が機能しだしたのは2023年だった。小泉政権以降、何度も水面下の非公式交渉が行われてきたが、北朝鮮のトップにつながるルートではなかったから、公式会談にまで進まなかった。もっとも期待を呼び、実際にストックホルム合意を実現したのは、2014年だ。この成果は実を結ばなかったが、日朝交渉を進めるための普遍的教訓がある。それはトップにつながるルートとの交渉とお互いの信頼関係の醸成だ。

このときのポイントは横田滋さん、早紀江さんとめぐみさんの娘ウンギョンさんとの初めての対面だった。実現させるための交渉の延長でストックホルム合意へと進んだ。ところが安倍政権が政府認定拉致被害者の田中実さん生存情報を受け取らなかったことをふくめ、この合意も頓挫した。

それからまた10年。新たな展開があった。2024年の元旦に能登半島で地震が発生した。北朝鮮の金正恩総書記は1月5日に岸田総理に見舞い電報を送った。「閣下」という表現を使った極めて異例な出来事だった。

これは震災見舞いという形を取った北朝鮮トップから日本政府へのメッセージだった。それまでに重要な経過があったからでもある。(次ページに続く)

【関連】「安倍晋三氏が判断」はウソ。一時帰国した北朝鮮拉致被害者に「日本に留まる決心」をさせた人物とその一言

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