2002年10月に北朝鮮から一時帰国という形で祖国の土を踏み、そのまま日本に残った5人の拉致被害者。それから23年を経た今年、被害者のひとり蓮池薫さんが上梓した著書に、「驚くべきことが書かれていた」とジャーナリストの有田芳生さんは言います。今回のメルマガ『有田芳生の「酔醒漫録」』では有田さんが、その内容や蓮池薫さんの実兄・透さんの反応などを詳しく紹介。さらに「すべてを記す」とした蓮池さんの著書に、なぜか触れられていない証言があることを指摘しています。
※本記事のタイトルはMAG2NEWS編集部によるものです/メルマガ原題:北朝鮮拉致問題で隠された真相
進む風化。北朝鮮拉致問題で隠された真相
北朝鮮拉致問題を解決するための努力が地道に続いている。「国民大集会」は年に2回開催され、横田早紀江さんたち被害者家族が発言をすれば、その時々に必ず報道される。だがその内実は「即時無条件一括帰国」と同じスローガンの提示に終わり、家族の嘆きに終わっている。
政治的に日朝交渉が進んでいるとの報道はない。いま日朝交渉はどんな局面にあるのか、進展はあるのか。問題は北朝鮮側にあるのか、日本側にあるのか。結論は動きなし。北朝鮮側が2024年1月6日に能登地震に対して金正恩総書記がお見舞いメッセージを送ったにもかかわらず、その機会を効果的に外交交渉に活かすことができなかった。
被害者の蓮池薫さんは、5月10日に『日本人拉致』(岩波新書)を出版した。「はじめに―ある人の言葉」には驚くことが書いてある。
蓮池さんたち被害者5人は、2002年10月15日に24年ぶりに日本に帰国を果たした。北朝鮮側は日本政府に「一時帰国」と通告して、本人たちもそう信じていた。
拉致被害という人権問題を解決するには原状回復が基本だ。国家の犯罪を許すことはできず、被害者が北朝鮮に戻るゆわれは何もない。しかも子供たちは両親が拉致された日本人だとは知らない。もし北朝鮮に戻らなければ、親子の関係はどうなるのか。
蓮池さんは「決断をめぐる葛藤」と書いている。これまで誰にも言わなかったことを新書で明らかにしたのだ。
「日本に戻ったら、そのまま日本で暮らすべきだよ」。日本に出発する数日前に北朝鮮である人にこう声をかけられたという。
この「気づき」が最終的に私が日本に残って子どもを待つという決断を強く後押ししてくれた。
人間としての当たり前の選択肢が、いつからか消え去っていた、というより心の奥深くに埋もれていた。しかし、彼の一言が、そんな私の目を覚ましてくれた。本当に人間らしい一言だった。
拉致被害者が日本に留まることを安倍晋三官房長官(当時)が判断したという虚偽はすでに明らかとなっているが、蓮池薫さんの兄である蓮池透さんたちが説得したためだとされてきた。
この「ある人のことば」を知って蓮池透さんは「ショックだった」とご本人のメルマガ(5月30日号)で書いている。
私の説得は役に立っていなかったのか。
当時、弟は「この決断は一つの『ギャンブル』だ」とも言っていた。もちろん私には、子どもたちを日本へ連れて来る力はないし、当時の情勢では、日本政府にとっても、すぐには無理なことで帰国を保証することはできなかったと考えざるを得ない。やはり、北朝鮮に暮らす人の言葉は私とは重みが違うのか。
ただ、その北朝鮮の人にも子どもたちを日本へ帰す権限がないことも明らかである。弟にも確認したが、「そんな首領様に抗うような人が、俺の近くにいるはずがない。ただ、そういう気概のある人が北朝鮮にもいるということに一縷の望みを持った」ということだった。
それにしても、なぜ今明かすのか。それも2度にわたって。本書の元になった月刊『世界』にはこの記述はないのに。
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