かつて一世を風靡したライフハック。仕事術やタスク管理、デジタルツールの活用法などがブログやSNSで盛んに発信されていましたが、今はすっかり影を潜めてしまったようにも見えます。今回のメルマガ『Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~』では倉下さんが、なぜライフハックは文化として定着することなくブームで終わってしまったことについて、その理由を考察しています。
ライフハックと個人主義
一時的にブームになったライフハックでしたが、今ではすっかり下火です。少なくともブーム性はありません。
もちろん、ブームという言葉が一過性のニュアンスを持つのですから、下火になっても当然ではあります。スマートフォンやクラウドという新しい技術が出てきたタイミングと、個人がブログという形式で情報を発信できるようになったタイミングがうまく重なった時節であり、またGoogleやAmazonがまだ「種まき」していたタイミングで、ちょうど稼ぎやすかったという事情もあったかと思います。
でも、そうした時節は過ぎ去ってしまいました。それは仕方がないことです。ブームはいつか終わる。だとしても、ちょっと考えてみたいのはなぜ「次の一歩」を踏み出せなかったのか、ということです。
何かが加熱して、やがて冷めていくとしても、中にはより大きな火となって燃え続けていくようなものもあるでしょう。私たちが現代で「文化」として持っているものの多くは、「ブームで終わらなかったもの」だと思います。
なぜライフハックは、そのようなステップを踏めなかったのでしょうか。
■個人主義者たち
一つには、ライフハックを好む人が、個人主義の傾向を持っていた点があるでしょう。
そもそも日本のライフハックには、自己啓発=セルフヘルプ的な側面が少なからずあります。セルフヘルプは「自分で、自分を助ける」わけですから、どうみてもそこには「個人」しかありません。自己で完結しているわけです。
また、その頃のインターネットはまだギークやおたくの割合が多く、「リアルは鬱陶しいけども、ネットなら自由にできる」という気概で参加していた人も多くいたでしょう。そうした人たちもやっぱり個人主義的な振る舞いを見せることになります。
自分のことを自分で片づける。あるいは自分の好きなようにやる。そうしたマインドセットがライフハックの原初に眠っているのだとしたら、個人の活動に閉じるのはほとんど必然です。
別の言い方をすれば、グループや団体、あるいは組織を作ることそれ自体が、ライフハックのマインドセットに反しているような気すらするのです。
しかしながら、何かが残り、継承されていくためにはグループや団体や組織といったものが必要です。言い換えれば、個人を越える主体が必要なのです。少なくとも、そうしたものがある状況とない状況を比較したら、ある状況の方が継承されやすいのは間違いないと思います。
ライフハックに関して言えば、そうしたものの萌芽がまったくなかったわけではありませんが、作られたグループ自体が存続しない結末を迎えました。個人主義的な人を寄せ集めても、おそらく「集団」は形成できないのでしょう。
■閉じたパワーゲーム
もう一つ考えておきたいのが、ドメインパワーです。単純に言えば、その人のドメイン(ブログのURLなど)がGoogle検索においてどれだけ力を持っているか、ということ。
ブログがブームだった時期は、ともかくドメインパワーを強くすることが重要視されていたと思います。SEO対策などもその一環です。そうなると、自分のサイトから他のサイトにリンクを張るようなことはしたくなくなります。滞在率が減る(ように思える)からです。
つまり、それぞれが緩やかに連帯していく形よりも、「ともかく、俺のサイトに、来い」というパワーゲームが展開されやすいのです。個人主義的な振る舞いを強化する状況だったと言えるでしょう。
そうこうしているうちに、Web記事で稼げる時代は終わりを告げ、ただアクセス数を求めて書かれた「閉じた」記事だけを残して、多くの人が更新の舞台から去っていきました。
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