豊臣家の夢の跡。京都に日本一大きな大仏があった事を知っていますか

kyoto20160826
 

大仏と聞いて多くの方が思い浮かべるのは「奈良の大仏」だと思いますが、かつて京都にこれを優に超える「日本一大きな大仏」があったことをご存知でしょうか? 無料メルマガ『おもしろい京都案内』では、豊臣秀吉が建立したというこの大仏にまつわる悲しいエピソードが紹介されています。

日本一大きい大仏が京都にあった?

かつて京都には大仏がありました。

三十三間堂の近くに京都国立博物館があります。その博物館のすぐ隣に豊国神社と方広寺があります。大仏殿はこの辺りにあったのです。昔、京都にお住まいの方ならご存知かもわかりませんが、この場所に昭和48年まで大仏があったのです。

この大仏を造ったのは、戦国時代の天下人・豊臣秀吉です。派手好きの秀吉は、奈良の東大寺にある大仏よりも大きな大仏を京都に造ったのです。

1595年に方広寺の大仏は完成しました。この時大仏を造るにあたって導入した制度があります。有名な「刀狩」ですね。この大仏の工事で必要となった金属類は刀狩りによって調達されているのです。当時の農民たちから刀や槍を取り上げて非武装化するのに都合のよい理由だったのです。秀吉もよく考えますよね!

完成した大仏の高さは約19メートルで、大仏殿の高さは50メートルもありました。ちなみに東大寺の大仏の高さは約15メートルです。日本一の大仏が京都にはあったのです。しかし、この大仏は完成した翌年に地震で崩壊してしまいます。ただ、大仏殿は崩れなかったため、善光寺の阿弥陀如来像を京都に移転して安置しました。しかし、この阿弥陀如来像はすぐに善光寺に戻され、すぐにまた大仏が造られました。その後、大仏は完成しましたが、開眼供養を行う前に秀吉は亡くなります。そして、この大仏殿が後に豊臣家滅亡の引き金となりました。

print
いま読まれてます

  • 豊臣家の夢の跡。京都に日本一大きな大仏があった事を知っていますか
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け