【書評】倒産寸前の小さな航空会社を救った、団塊世代社長の奇跡

 

そして、小山氏がプロデュースしているBSフジのテレビ番組『小山薫堂 東京会議』で、プロアマ問わず機体デザインを募集し、優勝者には番組から100万円の賞金を出そう、という話になった。

2012年3月に行われた『東京会議』の収録は奥島社長も出演し、同社の生い立ちや日頃の苦労話をいろいろと話す機会を得た。そして奥島社長、小山薫堂氏、「くまモン」のデザイナーである水野学氏、以前は自動車のデザインであったマンボミュージシャンのパラダイス山元氏の4人が審査員となったこのコンペには、締め切りまでに約260点もの応募数があった。そして最終的に、イルカウォッチングが有名な天草らしい、イルカの親子が描かれた中学生がデザインした作品が選ばれた。

奥島社長は当初、外装デザインの変更について若干躊躇していた。日本航空が鶴丸のロゴを変更した直後に経営破綻をしたことを目の当たりにしたので、縁起が悪いのではないかと心配したのである。しかし、蓋を開けてみれば、この外装デザインは多くのファンの獲得につながり、大成功に終わった

そして、機体のデザイン料は天草エアラインのような小さな会社には大きな負担になるが、整備費を補助金として出している熊本県が、天草エアラインの将来を思って、デザイン料も塗り替えの整備費に含めてくれた。新しい「みぞか号」は多くのファンを生み、天草エアラインを多くの人が使うようになり、天草に大きな経済効果をもたらした

天草エアラインの再建に火をつけた奥島氏は、長期政権は諸問題が発生するからと、就任5年後の2014年に、同社の社長を退任した。

2016年2月19日、「みぞか号」旧機体の退役時、天草の地元企業の方々が「天草エアライン みぞか号ありがとうキャンペーン」を企画してくれた。手絞りジュース、石鹸、いちごロール、マカロンなどの記念賞品を作ってくれた。

奥島氏は、自分は事業再生のプロではないがただ唯一自慢できるのは人との関わりを大事にしてきたことだ、と語る。全く偶然の出会いでも常に真剣にお付き合いした結果、多くの方々から思いもかけない応援が次々と寄せられ天草ラインの人気に火がついた。地域航空会社と地域の人たちが連携すれば、地域創生のための相乗効果が生まれる、と奥島透元社長は述べている。

print
いま読まれてます

  • 【書評】倒産寸前の小さな航空会社を救った、団塊世代社長の奇跡
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け