親日家を超えた「愛日家」。台湾の偉人・蔡焜燦氏90歳の生涯

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自らを「親日家を超えた愛日家」と称した台湾の偉人・蔡焜燦氏が先日、90年の生涯を閉じられました。今回のメルマガ『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』では著者で台湾出身の評論家・黄さんが、日台友好に尽くした蔡氏の偉業を振り返るとともに、誇りを失ってしまった現代の日本人に対して「先人がいかにすばらしい歴史を築いてきたかを認識すべき」と発奮を促しています。

【台湾】日本精神を賞賛し続けた「老台北」の遺志を継ごう

「台湾歌壇」代表の蔡焜燦氏が死去 日台交流に尽力

蔡焜燦氏は、日本と台湾という二つの祖国を持つことを誇りにしていた人物です。司馬遼太郎の『街道をゆく 台湾紀行』のなかに、「老台北」という愛称で登場したことで有名であり、半導体事業で実業家としても成功を収め、日台交流促進のために日本語で短歌を詠む台湾の愛好会「台湾歌壇」代表も務め、その功績が認められ2014年に旭日双光章を受章した偉大な人物でした。

その蔡焜燦氏がついに90歳で亡くなりました。とにかく日台のために尽くした人でした。自身が起こした企業の董事長を引退してからは、日台交流の場に呼ばれることも多く、声がかかるものすべてに丁寧に対応し、会合のための飲食費をすべて一人で負担することも多くありました。日台交流促進のためには、見返りを求めず献身的に尽くす姿勢。それこそが彼の心に染み込んでいる「日本精神」の実践でした。

私は、以前から彼の調子が悪いことは知っていました。台湾独立連盟日本支部の委員長から、彼の目が悪化しており、片方の目はすでに見えなくなっているといった報告を受けていました。そして、亡くなる前日、躓いて病院に運ばれ、そのまま神に召されたということです。どれだけ病状を知っていても、この夏に台湾へ帰った折にはまた会えると思っていただけに、彼の訃報に触れた際はやはり大きな驚きは隠せませんでした。

以下に産経新聞の報道を一部引用しましょう。

蔡氏は日本統治時代の1927(昭和2)年、台湾中部・台中市で生まれた。地元の商業学校を卒業後、志願して少年航空兵となり岐阜陸軍航空整備学校奈良教育隊に入隊、日本で終戦を迎えた。帰台後は体育教師などを経て電子機器会社社長を務めるなどした。李登輝元総統と親交が深く、『日本語世代』の代表的存在として日台交流に尽力。自ら親日家を超えた「愛日家」を名乗った。2000(平成12)年に日本で著書『台湾人と日本精神』を出版。日本の台湾統治を肯定的に評価し、『日本人よ胸を張りなさい』と訴えた。

「老台北」蔡焜燦氏が死去 李登輝氏と親交、「日本語世代」の代表的存在

かつて李登輝氏と話をしていた際、「私よりも蔡焜燦に聞くべきだ。彼のほうが私よりも頭がいい」と言っていたことがありました。

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