内閣府は8月29日に今年度の「経済財政白書」を公表しました。ここには政府の物価に対する偏向が見られる点が気がかりです。日銀だけでなく、政府も一緒になって「物価が上昇を続けることが望ましい」との認識のもと、個人の声を無視した物価対応がとられそうです。(『 マンさんの経済あらかると マンさんの経済あらかると 』斎藤満)
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プロフィール:斎藤満(さいとうみつる)
1951年、東京生まれ。グローバル・エコノミスト。一橋大学卒業後、三和銀行に入行。資金為替部時代にニューヨークへ赴任、シニアエコノミストとしてワシントンの動き、とくにFRBの金融政策を探る。その後、三和銀行資金為替部チーフエコノミスト、三和証券調査部長、UFJつばさ証券投資調査部長・チーフエコノミスト、東海東京証券チーフエコノミストを経て2014年6月より独立して現職。為替や金利が動く裏で何が起こっているかを分析している。
物価高推進は日銀だけではなかった
日銀の植田総裁が、6月にポルトガルで行われたECBフォーラムに続いて、8月26日にジャクソンホールのシンポジウムでも、「日本の基調インフレはまだ目標に達していないので、金融緩和を続ける」との姿勢を繰り返しました。
海外の目からは、「インフレが進んでいるのになぜ?」と奇異の目で見られています。
そればかりか、日銀が自らまとめている「生活意識に関するアンケート」調査でも、今日の物価高を「良し」とする人が2.8%にとどまり、86%の人が「困ったこと」ととらえていることが示されています。日銀は86%の人を敵に回し、2.8%の人のために物価をさらに押し上げようとしています。
これに国民から反発が出ていることは紹介した通りです。
これに対して、政府はガソリン価格の上昇や電気代の高騰に対処しているので、日銀よりは物価高を心配しているかと思いきや、今回の「白書」では日銀同様に、2.8%の人のために物価を安定的に上昇させたいとの意向が強く表れていました。物価の安定よりも物価の上昇持続を望ましいと判断しています。
国民の共感を得られるとは思えず、政府の価値観を押し付ける気でしょうか。
物価の安定より物価上昇持続を目指す政府
今回の白書、物価について多くのページを割いて分析していますが、分析の内容は良いとしても、その価値観には大きな疑問を感じます。
政府日銀はこれまで物価の安定こそが経済の基本と考えていたはずです。それが「デフレからの脱却」を飛び越えて、物価の安定的な上昇が望ましいとの姿勢に変わっています。
とくに物価の分析部分で、2つの点が気になります。
Next: なぜ政府は物価を上げたがっている?財務省の論理が前面に…
経財白書「物価分析」に2つの問題点
まず、第1に、そして本質的な問題が、本文63ページの次の文章に表れています。
「需給が均衡した状況でも、サービス物価上昇の持続性を確保するという観点から、ULC(単位労働コスト)が前年比プラスで推移し、増加している労務費が価格に転嫁されることで、安定的に物価が上昇していくことが重要である」と言っている点です。
少し補足すると、白書は「財物価」と「サービス物価」とに分けて分析していて、財物価は輸入物価にやや遅れて追随し、輸入物価が低下していることから、財物価も夏場から低下するとしています。一方、財物価に比べて低い上昇のサービス物価では、その変動要因としてULCが重要で、これが上昇すればサービス物価も上がり、財物価が減速しても物価全体の上昇が維持できると見ているようです。
単位労働コストが前年比プラスを維持し、その労務コスト高を価格転嫁させようとしていますが、これは1970年代から1980年代にかけて日本でも見られた「賃金物価の悪循環」に至るリスクがあり、FRBはこの連鎖を断ち切るために労働市場を冷やして労働コストを下げようとしています。日本はこの逆を行っています。
もう1点が、69ページにある「今はデフレ脱却に向けた動きが出てきた状況」との認識です。白書の中でも認めている政府の「デフレ認識」は、月例経済報告を基に見ると、2001年4月から06年6月までの間と、09年11月から13年11月までの間です。安倍政権も14年には「もうデフレではない状況」と認めています。それが白書は今になって「デフレ脱却の動きが出てきた状況」としています。
デフレは好ましくないので、それから脱却するための物価押し上げは正当化されるとの認識のようで、この10年、もはやデフレではないとしながら、デフレをネタに、物価押し上げを正当化していることになります。
財務省の論理が前面に
かつての「経済白書」にはこうした認識はありませんでした。白書が「経済財政白書」となり、政府財務省の意向がここに強く出るようになったと見られます。
財務省にしてみれば、1千兆円を優に超える債務を抱える中で、政府がばらまき予算で毎年巨額の財政赤字を出し続けるので、これを可能にする債務軽減策が必要になります。
もっとも、政府が国民に増税を求めると強い反発を招くことも分かっているので、日銀に金利を上げないようにさせたうえで、インフレにして債務の目減りを進め、さらにフローではインフレ増税を利用し、歳入を増やす算段です。名目で1,500兆円の債務も、年に4%のインフレとなれば、年に60兆円債務が目減りし、実質負担が軽くなります。
またインフレで消費税が増加し、所得税や社会保険料も名目所得の増加により、税率区分、負担率区分が高まり、負担額が増えます。国からすれば、何も言わなくてもインフレで勝手に増税になります。本来ならこれで金利も上がり、インフレは金利コスト増の財政負担を増やすのですが、今は日銀が金利を抑えているので、政府の金利負担は増えないまま、インフレ増税の恩恵を受けられます。
ここに日銀の大規模緩和が大きくかかわっています。財務省もかつては金利負担を抑えるために、景気はむしろ悪くてもよいと言っていたくらいです。実際、国債利回りが大きく上昇した際には、当時の竹中大臣の協力のもと、まさかのGDPマイナス成長を公表し、金利が一気に低下し、政府の負担減となった経緯があります。金利コストを下げるためにはマイナス成長も辞さず、でした。
Next: インフレ利得を外せば本音も
インフレ利得を外せば本音も
この歪んだ価値観を質すためには、インフレに応じて金利が上がるように、つまり日銀のYCC(イールドカーブ・コントロール)を撤廃させ、債券市場への関与を止めさせること、そしてインフレの実績に応じて、課税最低限の引き上げ、所得税率区分や社会保険料の負担率区分を引きあげることです。
消費税についてもインフレ増税になる分を減税で返還します。これによってインフレ増税は得られなくなり、インフレで政府の金利負担も増えます。
それでも白書で物価上昇の持続が重要と言っていられるでしょうか。
国民に向けた情報発信の場となる経済財政白書で政府の価値観を押し付けることは、戦時経済への逆戻りを連想させ、国民に不安を与えます。
今回の白書は無視できない過ちを犯しています。
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- 為替市場の先行きはバンピーロード(12/7)
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- 市場の懸念に反して快走する米国経済(11/21)
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- FRBはインフレ抑制を緩められない(11/14)
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- 円安活用にも円安がネックに(11/9)
- バイデンに逆風の景気認識(11/7)
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- 米中間選挙の影響裏表(11/2)
- 財政の私物化は止めてほしい(10/31)
- 過小評価される反グローバル化の影響(10/28)
- 習近平1強体制の危険性(10/26)
- 利上げできない最大の理由は日銀のバランスシート(10/24)
- 台湾を目玉にするしかなかった習近平の苦境(10/21)
- バイデン、サウジの裏切りに報復か(10/19)
- 株のベアマーケットはいつ終わるのか(10/17)
- スタグフレーションへの対応と通貨の関係(10/14)
- 引き締め途上でクレシット・リスク(10/12)
- 「賃金が上がるよう緩和」は危険な方便(10/7)
- 政治管理下に入った円相場の行方(10/5)
- 20年ぶりのドル高に狼狽する周辺国(10/3)
- 日米のインフレを左右する「帰属家賃」(9/30)
- 株式市場、しばらくは「逃げるが勝ち」か(9/28)
- 綻びが目立つ日銀の大規模緩和継続論理(9/26)
- FRBの積極利上げ、ここまでの産物(9/21)
- インフレが長引くこれだけの理由(9/16)
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- 企業への優先資源配分神話が通じなくなった(9/12)
- 物価高対策で露呈する岸田政権の限界(9/9)
- ウクライナでドイツの地位低下(9/7)
- 変わる「デュアル・マンデート」のバランス(9/5)
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- FRB積極利上げのジレンマと隠れたリスク(8/31)
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- 北戴河後の中国に異変?(8/26)
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- スタグフレーションへの処方箋(2/18)
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- ウクライナ紛争とロシアンルーレット(2/9)
- FRBの常識を捨てる時(2/7)
- 岸田政権支持率を脅かす2つの誤算(2/4)
- 試練に立たされるFRB(2/2)
- ウクライナ緊張、市場への原爆(1/31)
- 中国5.5%成長を拒む2つのリスク(1/28)
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- 米国の引き締め転換で炙り出される債務問題(1/21)
- 夏の参院選を左右する岸田政権の防衛、エネルギー戦略(1/19)
- トランプ「三銃士」の苦難(1/17)
- ドル高持続の前提が危うい(1/14)
- 日銀の大規模緩和が出口を迫られる(1/12)
- FRBのインフレ抑制如何で米国のバブル崩壊リスクに(1/7)
- 新年経済のカギを握る中国経済(1/5)
『
マンさんの経済あらかると
マンさんの経済あらかると
』(2023年9月1日号)より一部抜粋
※タイトル・見出しはMONEY VOICE編集部による
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金融・為替市場で40年近いエコノミスト経歴を持つ著者が、日々経済問題と取り組んでいる方々のために、ホットな話題を「あらかると」の形でとりあげます。新聞やTVが取り上げない裏話にもご期待ください。