行動ファイナンスの中でも中心的な概念として知られるものに、プロスペクト理論があります。トレードの期待リターンを生み出す源の一つを示唆するとともに、トレードで人が最も陥りやすい罠についても明快に説明してくれるとても重要な理論です。(田渕直也)
※本稿は、お気に入り作家の無料・有料作品を記事単位で読めるサービス『mine(マイン)』の記事をまるごと1話無料で公開するものです。田渕直也さんの他の記事もぜひご覧ください。
プロフィール:田渕直也(たぶちなおや)
一橋大学経済学部卒。日本長期信用銀行(現新生銀行)入行。デリバティブの商品開発、ディーリング業務に従事。以後、国内大手運用会社ファンドマネージャー、不動産ファンド運営会社社長、生命保険会社執行役員を経て、現在、株式会社ミリタス・フィナンシャル・コンサルティング代表取締役。『図解でわかるランダムウォーク&行動ファイナンス理論のすべて』『確率論的思考』『入門実践金融デリバティブのすべて』(いずれも日本実業出版社)『投資と金融にまつわる12の致命的な誤解について』(ダイヤモンド社)『不確実性超入門』(ディスカバー21)など著書多数。
プロスペクト理論が示唆する、トレードの期待リターンの源泉とは?
人は利益を評価するときと損失を評価するときで基準が異なる
行動ファイナンスの中でも中心的な概念として知られるものに、プロスペクト理論があります。ダニエル・カーネマンとエイモス・トベルスキーが提唱したもので、トレードの期待リターンを生み出す源の一つを示唆するとともに、トレードで人が最も陥りやすい罠についても明快に説明してくれるとても重要な理論です。
一例として、以下のような質問があったとします。できるだけ直感で答えてみてください。
<質問1>
以下の二つの選択肢が提示されたとき、(A)(B)どちらが好ましいものに思えますか。
(A)確実に10万円を受け取れる
(B)50%の確率で何も受け取れないが、50%の確率で20万円を受け取れる
<質問2>
以下の二つの選択肢が提示されたとき、(C)(D)どちらが好ましいものに思えるでしょうか。
(C)確実に10万円を支払わなければならない
(D)50%の確率で何も支払わなくてよいが、50%の確率で20万円を支払わなければならない
多くの人は、質問1に対して(A)を好ましいと答え、質問2に対しては(D)を好ましいと答えます(数多くの実験で確かめられています)。
もちろん、文章をよく読んでみれば、(A)と(B)、(C)と(D)の期待値が同じであることはすぐに分かります。
そして、期待値のプラスマイナスは違えども、(A)と(C)が確実な選択肢を選ぶリスク回避型、(B)と(D)が不確実な選択肢を選ぶリスク選好型という点で全く同じ形式の選択肢になっています。
ここから何が読み取れるかというと、人は、
- 利益を評価する場合(AとB)には、リスク回避型の選択肢を好む
- 損失を評価する場合(CとD)には、リスク選好型の選択肢を好む
ということです。
つまり、利益と損失に対する評価の仕方が異なっていることになります。これをモデル化したものがプロスペクト理論です。
Next: 人が損失を回避しようとするバイアスの強さは状況に応じて変化する
効用曲線と損失回避バイアス
プロスペクト理論では、利益や損失に対する心理的な満足度、すなわち効用の度合いを関数として表します。これが図17Aです。
一方で、利益や損失がどの程度の確率で発生すると感じているかという主観的な確率も関数として表します(図17B)。
この二つの関数を掛け合わせた結果として、意思決定が行われると考えるわけです。
もう少し具体的に見てみましょう。まずは効用関数からです。
効用関数(価値関数ともいう)は、利益を評価する右半分のエリアでは、上に凸となる曲線で表されています。これは、利益の増加に伴って満足度の増加が少しずつ小さくなっていくことを示しています。限界的な効用が逓減しているわけですね。
一方で、損失を評価する左半分のエリアでは、効用曲線は下に凸となる曲線で表されます。これは、損失の増加に対してマイナスの満足度、すなわち失望の増加の度合いが小さくなっていくことを示しています。
先ほどの質問では、確率が明示されていたので、主観的確率関数の影響がなく、効用関数だけで意思決定がなされることになります。その場合、AとBの選択では、利益に対する満足度の比較となりますから、
10万円の利益の満足度 > 50%×0 + 50%×20万円の利益の満足度
となって、選択肢のAが選ばれます。同様に、損失に対する失望度の比較では、
10万円の損失の失望度 > 50%×0 + 50%×20万円の損失の失望度
となって、失望の度合いが小さい選択肢Dが選ばれることになります。
このプロスペクト理論の効用曲線にはもう一つ重要な特徴があります。それは、X軸の中心のゼロのところで、効用曲線が屈折している点です。
これは、50%の確率で10万円を受け取り、50%の確率で10万円を支払うゲームを人がどの程度好むかを表しています。一般に、人はこのようなフィフティ・フィフティのゲームを好みません。つまり、同額の利益から得られる満足度よりも、損失から生じる失望度の大きさの方が大きいというわけです。これは図17Aでは
(ロ)の大きさ > (イ)の大きさ
で表されています。そうだとすると、人は損失を回避しようとするバイアスを持っていることになります。
もっとも、このような効用曲線の性質は、人によって、もっと厳密にいうと人が置かれた状況によって、異なってくると考えられます。
たとえば、トレードで失敗して損失を被った後では、損失回避傾向は強く現れますが、成功が続くとこれが弱まっていきます。効用曲線は、固定的なものではなく、状況に応じて変動していると考えるべきものなのです。
Next: 人は「めったに起きないが印象的な出来事」の発生確率を高く見積もる
主観的確率関数とその変動
次に、主観的な確率についても見ておきましょう。
一般的に人は、めったに起きないけど、とても印象的な出来事の発生確率を高く見積もる傾向があります。
飛行機事故で死ぬ確率は統計的に極めて低いのですが、私などは毎回飛行機に乗るたびに多少の緊張を覚えます。
また、イスラエルに観光に行ってテロにあって死ぬ確率は、東京の街中で交通事故によって死ぬ確率よりもはるかに低いのですが、それでもイスラエルへの観光旅行はちょっと怖いですよね。
航空機事故やテロといった強烈な印象を伴う事象に対する主観的な発生確率の見積もりは、客観的な確率よりもかなり大きく見積もられるということです。
一般的な主観的確率関数は、図17Bの実線のように、極端な出来事の発生確率を高く見積もる傾向があると考えられています。
もっとも、必ずしもそうとは言えない事例も考えられます。
たとえば、リーマンショックの記憶が強く残っているときには、金融危機の発生に人は警戒心を解きませんが、好調な環境が何年も続くと、過去の危機は忘れられ、危機的な状況が訪れる確率をやがて無視するようになっていきます。
バブルで浮かれているときは、誰もリスクを気にしなくなるわけです。図17Bの破線で示したような心理状態にもなりうるということですね。
そして、それが次の危機を招く導火線になります。
Next: 主観的確率関数のゆがみが市場価格に与える大きな影響とは?
主観的確率関数のゆがみが市場価格に与える大きな影響
市場参加者の主観的確率関数のゆがみは、市場価格にも大きな影響をもたらします。
たとえば、価格変動率(ボラティリティ)の予想を売買するオプション(※1)という金融商品があります。
このオプション市場では、金融危機後などの特定の時期を除くと、極端な価格変動が生じる可能性が少し低めに見積もられがちになっていると考えられています。まさに図17Bの破線の状態ですね。
そうだとすれば、極端な値動きが生じたときに利益が生まれるようなオプション(※2)の市場価格は、客観的な確率(※3)で計算された適正価格よりも安くなっていることになり、これを買うことでプラスの期待リターンを得ることが出来ます。
※1:オプションとは、ある原資産を、事前に決められた価格(行使価格)で買う権利(コール)、または売る権利(プット)を売買するものです。原資産の予想価格変動率(ボラティリティ)が高ければオプションの価格も高くなるので、将来のボラティリティの予想を取引する市場と位置付けられています。
※2:ディープ(またはファー)・アウト・オブ・ザ・マネーと呼ばれるものです。
※3:客観的な確率は知ることが出来ないわけですが、主観的確率関数が図17Bの破線のようになっているとしたら、客観的な確率が市場価格に織り込まれている確率(=市場参加者たちの主観的確率)よりも高いということだけは分かります。
結局のところ、主観的確率曲線は、金融危機後は実線のようになるけど、平穏な時期には破線のようになっていて、そのサイクルを繰り返していると考えられるのです。
以上プロスペクト理論の概要を見てきましたが、これは投資理論にどのような含意を持つのでしょうか。それは、以下3つの点にまとめられます。
- リスクプレミアムの発生
- リスク選好度の循環的な遷移
- 利益と損失に対する非対称の反応
このどれもが、とても重要な意味を持っています。次回は、この3つの点について、詳しくみていきたいと思います。
(この回終わり)
※田渕直也さんのその他の記事は、無料・有料作品を記事単位で読めるサービス『mine(マイン)』で連載されています。興味のある方はぜひこの機会に講読をお願いいたします。
<田渕直也のトレードの科学~マネーボイスで無料公開中の記事>
・トレードとは何か、その成功の要因とは何か~人がコントロールできるのは期待リターンだけ
・トレーダーの利益の源泉~効率的市場仮説の「つけ入る隙」を考える
・トレーダーを惑わせる「2つのランダム」 アルゴ取引は決定論の夢を見るか?
・「OTMオプションの大量売り」ができるプロとできない一般投資家の“差”
・言い訳をするサル。投資に向いていない「ヒト」という生き物の弱点
・ヘッジファンドはこれで儲ける!アービトラージ戦略の様々なアイデア
・心地よすぎて破滅する。コントラリアン(逆張り投資家)が嵌る罠
・「史上最大のボロ儲け」天才ポールソンの手法から個人投資家が学ぶべきこと
・人間はAIに敗れるか?投資の世界に訪れるシンギュラリティ(技術的特異点)
『田渕直也のトレードの科学 Vol.017』より抜粋