「孤独」「ぼっち」という言葉に、多くの人はネガティブな印象を持っていると思います。しかし私は最近、孤独こそが最強の生き方ではないかと思っています。(『午堂登紀雄のフリー・キャピタリスト入門』午堂登紀雄)
※本記事は有料メルマガ『午堂登紀雄のフリー・キャピタリスト入門』2017年6月19日号を一部抜粋したものです。興味を持たれた方は、ぜひこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。
プロフィール:午堂登紀雄(ごどう ときお)
米国公認会計士(CPA)。1971年生まれ、岡山県出身。中央大学経済学部 国際経済学科卒。株式会社エディビジョン代表取締役。一般社団法人 事業創造支援機構代表理事。
人は一人で生きられる。「ぼっち」を極めて真の自由を手に入れろ
孤独こそ最強の生き方
「孤独」「ぼっち」という言葉に、多くの人はネガティブな印象を持っていると思います。しかし私は最近、孤独こそ最強の生き方ではないかと思っています。
実際、クリエイティブな人は、孤独を創造の源にしていますし、ハイパフォーマーな人たちもやはり孤独を自分のエネルギー源にしています。
そして何より、孤独の中で自分と向き合うことで、自分の感情を意のままに操れるようになるからです。
そうなれば、不安や悩みも自己消化できるし、出来事への捉え方を変え、幸せを感じられます。つまり心の強さを高めるには、必ず孤独の時間が必要なのです。
多くの人は、自由を求めていると思います。では自由とは何か。それは、何からも誰からも制約を受けず、自分の意のままに生きることと言えるでしょう。
何かに縛られてがんじがらめになっている状態より、自分の好きなように生きられるほうが良いはずです。そんな自由を得たいならば、そこには必ず孤独がつきまといます。
たとえば田舎の集落で暮らせば、地元の人間関係や風習にある程度従わなければなりません。その代わり、農作物を融通しあったり、互助的な生活が送れます。
一方、都会にはそのようなしがらみはほとんどありません。賃貸マンションや賃貸アパートに住んでいれば、隣の人を知らないし知る機会すらないと感じる人も少なくないと思います。
風習や習慣もない。だから誰にも縛られない。これは自由です。
「ポジティブな孤独」とは?
しかしその裏返しに、都会に暮らすとアパートの一室で「ひとりぼっち」などと、孤独を感じることもあるでしょう。
孤独を受け入れずして自由を得ることはできません。逆に孤独を避けようとすればするほど、他人に合わせなければならず、つまり自由もあきらめることになります。
「ひとりでは寂しい」という人もいると思います。しかし、孤独を使いこなす、つまり孤独力を獲得すると、寂しさなど感じなくなるとともに、むしろより充足した感情を持つことができるようになります。
みんなでいても楽しいけれど、ひとりでも楽しい。どちらの状態でも楽しむことができる。一人になることが怖くないから、無理して周囲に合わせて人間関係を維持する必要もなく、自分らしく生きられる。
もちろん、それで離れる人もいれば、魅力に感じて近づいてくる人もいる。しかしその結果、自分を飾らず・偽らずに付き合える人間関係のみが残るから、いつも楽しいというわけです。
この連載では、寂しさという意味でのネガティブな孤独ではなく、人間が精神的に成熟するための必須経験としてのポジティブな孤独を紹介します。そして、いかに孤独を使いこなし、自由を獲得していくか、その方法論も紹介していきます。
もし孤独でつらい、寂しい、苦しいと感じている人は、孤独はむしろとても素晴らしいことであると感じていただけると思います。
Next: 「一人で食事しているのを見られたくない」人が見落としていること
「孤独はイヤ」という思考停止から抜け出す
ひとりはそんなに悪いことなのか?
「便所飯」や「ランチタイム症候群」という言葉が話題になるほど、多くの人はひとりで食事するのを恐れます。いえ、実際には一人で食事をしているところを見られることを恐れているのです。
それはなぜかというと、自分の中に「孤独なのはみじめ、ひとりは寂しい」という思い込みがあるため、「自分は寂しい人間なんだと思われているんじゃないか」という妄想に苦しんでいるわけです。
孤独というのはただの状態を指す言葉です。孤独をみじめに感じるのは、孤独そのものがみじめなわけではなく、「孤独はみじめだ」と思い込んでいる自分の固定観念が原因です。この固定概念は、社会で生きるうちになんとなく刷り込まれてきた、無意識の価値観です。
「人間は一人では生きていけない」などとみんなが言うから、孤独な自分を責め、人間関係に悩み、追い詰められる。そんな道徳的な主張に、多くの人は「そうだよね」と同調し、それ以上考えることをやめてしまいます。しかし、そのような抽象的な言葉こそ、いったん立ち止まって「それ、ほんとう?」と深く考えてみる必要があります。
特に昔の人が言った言葉の中には、現代では通用しなくなっていることも多いからです。にもかかわらず「孤独はイヤ」「寂しいからイヤ」というのは、思考停止と同義です。
たとえば、たしかに小さな赤ちゃんは一人では生きられません。しかし、大人になればどうでしょうか。一人で起きられるし、一人で着替えもできる。一人でお風呂も入れるし、食事もできるでしょう。
昔は不作の年は近所で食料を融通しあう必要がありましたが、今ではスーパーやコンビニに行けば簡単に手に入るので、暮らしに困ることもありません。
仕事は一人ではできませんが、求められる成果を出せば問題ないはずで、特に濃厚な付き合いが求められているわけではありません。
それに、むやみに他人を攻撃しなければ人間関係が険悪になることもなく、単に誘われないとか、会話の輪に入れないだけ。仮にそうであっても、それが何かの障害になるわけでもない。
つまり実際には一人でも生きていけるわけで、孤独を恐れる必要はないことがわかります。
Next: どうせ死ぬときは一人、「孤独死」を恐れる必要などまったくない
「孤独死」を恐れる必要などない
テレビや週刊誌に、時々「孤独死」という言葉が出てきますが、これもやはり孤独をネガティブに捉えている人々が多いということです。しかし、一人で死ぬことがそんなに悪いこと、寂しいこと、みじめなことなのでしょうか。
そこで私自身が死の床についたときの状況を想像してみました。たとえば心拍が弱まり危篤状態にあって、家族や親しい人が駆けつけてくれ、見守ってくれている。その中で静かに目を閉じ、息を引き取る。確かに、なんとなく自分を心配してくれる人がいるんだという安心感で、温かい気持ちになりそうな気がします。
しかし一方で、こういう感情も抱くのではないか、とも想像します。周りの皆は元気でこれからも生きていくというのに、この輪の中で自分だけが死んでいくという寂しさ。周りから置いていかれるという不安感。
なんで自分だけが先に死ぬのか。もっと一緒にいたい。もっと皆と楽しいことをしていたい。もっと生きたい…。
あるいは、死んでいく自分の姿を見られる方が、何か脆弱な存在のようで、ひどくみじめな気分になるかもしれないな、とも思います。一人死んでいく弱い自分をこれ以上見ないでくれ、というような…。
飼いネコが死の間際には家を出て、人目につかないところでひっそり息を引き取る理由もわかるような気もします。
刷り込まれた価値観を疑え
先ほど、「一人で死んでいく弱い自分」と書きましたが、周りに人がいてもいなくても、死ぬのはやはり自分一人であり、そういう意味では孤独とも言えます。
むしろ人の中にいるからこそ、よけいに自分だけが死んでいくんだと孤独感を強く感じるかもしれません。
もちろん、その時の年齢や死のシチュエーションによっても違うと思います。交通事故ならそんなことを感じる暇さえないし、重い病気の場合は心が弱って周囲のことを見る余裕はないかもしれない。
そもそも、死んだら何の感覚も感情も記憶もなくなります。死んでしまったら終わりで、寂しいとかみじめとか、何も感じない。死ぬ直前に何かを思ったとしても、次の瞬間にはその思いも消滅します。
だから周りの人が勝手に「かわいそう」「みじめ」などと決めつけるのもおかしな話で
す。本人は満足して死んだのかもしれないし。本人の心情を知ることができない外野があれこれ講釈するのはナンセンス。
「孤独死はみじめ」「近しい人に見守られて死んでいくのが理想」というのも、何か刷り込まれた価値観のように感じます。逆にそれくらい、孤独を恐怖と感じている人が多いということなのでしょう。
Next: インスタグラムという自縄自縛、「孤独」であることの本当の価値
「孤独」であることの本当の価値
孤独はイヤだからと、誰かと一緒にいようとする。どこかのグループや集団に所属しようとする。しかし、もしそれで人間関係に疲れているとしたら、無理をして周りに合わせているから。
自分を曲げて、あるいは自分の本心を抑え込んでまで周りに合わせることは、自分の人生を他人に侵食されることにほかなりません。
もちろん、良い影響もあるし、多少は集団の影響を受けるものですが、頭の中まで侵食されてしまっては、いつまで経っても自分に自信が持てず、生きている実感を得にくくなります。すると、未来は明るいと思えなくなってしまいます。
たとえばフェイスブックやインスタグラムなどのSNSには、パーティーの楽しそうな写真がアップされていますが、本当に心から楽しんでいる人は、いったいどのくらいいるのでしょうか。
確かに楽しいのかもしれませんが、ではなぜ――(続きはご購読ください。初月無料です<残約4500文字>)
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『午堂登紀雄のフリー・キャピタリスト入門』(2017年6月19日号)より一部抜粋
※太字はMONEY VOICE編集部による
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