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1960~70年代マーケットの重大事件を振り返る――IOSショック、ニクソンショック、オイルショック

投資歴54年の山崎和邦氏が思い出の投機家を振り返る本連載、今回は本連載に登場する投機家たちが活躍した、1960~70年代のマーケットにおける重大事件を解説します。

1960~70年代の投機家たちを翻弄した重大事件の数々

今回は本連載に登場する投機家たちが活躍した、1960~70年代のマーケットにおける重大事件を取り上げよう。

緻密な情報分析で「町に血が流れる時」に買い、年利80%以上を叩き出す投資家H氏

時代は循環するというが、こうしてみると当時は、近年に勝るとも劣らない様々な「暴落」「ショック」が市場を襲った時代であった。

本稿では、いざなぎ景気終焉の前兆となった「IOSショック」、戦後経済最大の転換点となった「ニクソンショック」、そして日本の高度成長時代の終わりを告げた「第1次オイルショック」を中心に振り返ってみたい。

とりわけ日本経済に長期的な打撃を与えて曲がり角を造った、第1次オイルショックは重要である。

Next: いざなぎ景気終焉の前兆「IOSショック」 東証ダウは-8.69%の大暴落

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いざなぎ景気終焉の前兆となった「IOSショック」 東証ダウは-8.69%の大暴落

1965(昭和40)年の山一証券第一次破綻後、佐藤栄作内閣は思い切った財政出動によるインフラ整備をぶちあげて景気を引き上げた。

それが、1965(昭和40)年10月~1970(昭和45)年7月まで、史上最長の57ヶ月におよぶ「いざなぎ景気」を作出した。

現在の安倍内閣でいう「第2の矢・機動的な財政政策」である。

当時の経済企画庁は、当世一級の官庁エコノミストの巣窟であった。その前身は第二次大戦直後の1946(昭和21)年に設置された「経済安定本部」であり、全官庁の上に君臨し「アンポン」と呼ばれた最高権威、経企庁はその直流となる。

現在でも、経企庁退官者は概ね必ずと言っていいほど民間総研の幹部となる。あるいは大学教授として教鞭を執る例も実に多いが、景気循環の各波動に対して愛称をつけたのが、他ならぬこの経企庁である。

最初は、朝鮮戦争の漁夫の利を拾いまくって急成長した1954(昭和29)年末からの特需を、日本初代天皇とされる神武天皇以来の好景気だということで「神武景気」とした。

次に、1958(昭和33)年からの景気拡大局面では、これは神武景気をしのぐ好景気ということで、さらに神話をさかのぼって「天照大神が天の岩戸に隠れて以来の好景気」の意味を込めて「岩戸景気」と命名した。

そして、1965(昭和40)年10月~1970(昭和45)年7月まで、史上最長の57ヶ月におよぶ好景気を、日本神話の中で最も古い「いざなぎのみこと」以来の好景気という意味で「いざなぎ景気」と命名する。

これは平成になってからも「いざなぎ超えは可能か?」などと頻繁に使われ、標準語として定着している。

この「いざなぎ景気」終焉のシグナルとなったのが、1970(昭和45)年春の「IOSショック」である。

IOS(Investors Overseas Services)はスイスを拠点とし、“怪物”バーニー・コーンフェルド氏が率いる、当時として世界最大のファンド・オブ・ファンズ(各種投信を集めた投信)だった。このIOS破綻の噂がマーケットを駆け巡ったのである。

当時の大蔵省はファンド・オブ・ファンズの国内上陸を認めていなかったが、日本市場は、IOS絡みでの日本株投げ売りを警戒し疑心暗鬼となった。

かくして1970年4月30日、この日の東証ダウ終値は2,114.32円。前日比-201.11円安(-8.69%)の大暴落を演じることとなった。

その時、野村の紀州和歌山支店で株式責任者を務めていた私は、まさかこれが景気終焉のシグナルになるとは夢にも思わなかったものである。

Next: 戦後の大転換点「ニクソンショック」 東証ダウ-7.68%安もバブルの萌芽が

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戦後経済の大転換点「ニクソンショック」 東証ダウ-7.68%安もバブルの萌芽が

「いざなぎ景気」の終焉から1年ばかりが経過した1971(昭和46)年8月15日(日本時間16日午前10時)リチャード・ニクソン米大統領はドル防衛を目的として金ドル兌換停止を電撃的に宣言した。これが世に言う「ニクソンショック」である。

これにより、金1オンス=35米ドルの兌換を保証した戦後の金ドル本位制(ブレトン・ウッズ体制)は終焉し、スミソニアン体制下の米ドル切り下げを経て、各国主要通貨は変動為替相場制に移行することとなった。

それまでの日本は、1ドル360円の固定為替相場のもと輸出で多いに稼いでおり、その大半は繊維であった。昭和40年代半ばまで「日米貿易摩擦」と言えば、それは繊維だったのだ。

余談だが、戦後長きにわたり「世界第2位の経済」を維持した我が国は繊維の輸出中心で稼いだ。群馬県の富岡製糸場はそのルーツである。その意味で富岡工場が世界遺産に登録されたことは意味深い。

さてニクソンショックは奇しくも8月15日「終戦の日」直後であった。私は家族との夏休みで会社から200キロ離れた高原にいたが、大事件を知ってマイカーを飛ばし野村に出社したから鮮明に記憶している。

いきなりの円高に日本は慌てた。8月16日の東証ダウ終値は2530.48円、前日比-210.50円(-7.68%)の大幅下落であった。

当初、日本政府は1ドル360円を維持すべく、国力を挙げての円売りドル買いで対抗したものの、8月下旬にはドル買い支えを断念し、その後しばらく1ドル340~320円水準で推移する。

そして12月にはスミソニアン協定により1ドル308円が決定し、円はドルに対し約17%切り上げられる結果となった。

しかしながら、この円高への一連の対応やデフレ防止政策は過剰流動性を生み、後の「列島改造バブル」へと繋がっていく。東証ダウは1970年12月の2,000円割れ水準から、1973年1月の5,359.74円まで、わずか2年あまりで2倍以上の上昇を示現したのである。

Next: 列島改造バブル終焉と第一次オイルショック 日本は低成長時代へ

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列島改造バブル終焉と第一次オイルショック 日本は低成長の時代へ

ニクソンショック後の過剰流動性と「日本列島改造論」に湧いた日本市場は、息を吹き返したかに見えた。だが東証ダウは1973(昭和48)年1月高値の5,359.74円をピークに下落に転じると、4月には月足終値で5,000円の大台を割れてしまう。

そしてこの年の10月6日、エジプト・シリア連合軍がイスラエルに奇襲攻撃をかけ、第四次中東戦争が勃発する。

当時の原油価格は1バレル2ドル台だったが、原油の採れないイスラエルを睨んだOPECの値上げ攻勢により、一挙に4倍にまで高騰した。第一次オイルショックである。

中東諸国にとって、原油は欧米に対する駆け引きの切り札となる。しばしば武器として利用される原油相場は、他の商品相場とは違った不健全性を持っている。

この騒動を受けて、日本では物資不足への思惑から、主婦たちがトイレットペーパーを求めてスーパーに駆け込み長蛇の列を作るといった現象がテレビなどで盛んに報じられた。これ自体は根拠に乏しいパニックであったが、その後の狂乱物価と不況を予期するかのごとくであった。

先だって天井をつけていた東証ダウはといえば、中東戦争勃発後もIOSショックやニクソンショックに比べれば冷静な値動きを示したが、12月に入ると一時3958.57円の安値をつける場面があった。結局、4,306.80円でこの年の取引を終え、年初からは約17%の下落となった。

ところでこの頃、それまでほとんど無名の国際経済評論家が「原油は特別の商品ではない。商品相場の波動にしたがって必ず下がります」と断言した。その男はその一言で世に出た。それが長谷川慶太郎氏である。

この人ほど多くを予言し、多くを的中させ、多くを外した人は日本にいない。大当たりするし、大外れする。

例えばバブル景気の最中、日銀の三重野総裁が資産価格の高騰を消費物価のインフレと混同して度を越した金融引締めを反復して日本経済を破壊したが、当時、長谷川氏は「これからは永久にデフレです」と断言していた。彼の「永久」は10年か20年を指す。誰も言わないときにデフレだと警告したのは彼だけだった。

湾岸戦争やイラク戦争も、「たなごころを指すように」開戦から戦闘終結の日時まで正確に当てた。後で本人に聞いたが、阪大工学部出身だけあって、現地のプラントメーカーから天気図をファックスしてもらって砂嵐の予測をし、そこから逆算して戦局を予測したのだという。

大外れは、リーマンショックの淵源となったサブプライム危機の、その1ヶ月前に『世界大規模投資の時代』を著したことだ。

オイルショックは、日本経済の高度成長時代から低成長時代への曲がり角を造った事件であり、大きな歴史的意味があった。そこから我が国は「元総理大臣の逮捕」という未曽有の状況に至るのだが、それに関してはあらためて別稿としたい。

山崎和邦(やまざきかずくに)

1937年シンガポール生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。野村證券入社後、1974年に同社支店長。退社後、三井ホーム九州支店長に、1990年、常務取締役・兼・三井ホームエンジニアリング社長。2001年同社を退社し、産業能率大学講師、2004年武蔵野学院大学教授。現在同大学大学院特任教授、同大学名誉教授。

大学院教授は世を忍ぶ仮の姿。実態は現職の投資家。投資歴54年、前半は野村證券で投資家の資金を運用、後半は自己資金で金融資産を構築、晩年は現役投資家で且つ「研究者」として大学院で実用経済学を講義。

趣味は狩猟(長野県下伊那郡で1シーズンに鹿、猪を3~5頭)、ゴルフ(オフィシャルHDCP12を30年堅持したが今は18)、居合(古流4段、全日本剣道連盟3段)。一番の趣味は何と言っても金融市場で金融資産を増やすこと。

著書に「投機学入門ー不滅の相場常勝哲学」(講談社文庫)、「投資詐欺」(同)、「株で4倍儲ける本」(中経出版)、近著3刷重版「常識力で勝つ 超正統派株式投資法」(角川学芸出版)等。

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