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1960~70年代マーケットの重大事件を振り返る――IOSショック、ニクソンショック、オイルショック

列島改造バブル終焉と第一次オイルショック 日本は低成長の時代へ

ニクソンショック後の過剰流動性と「日本列島改造論」に湧いた日本市場は、息を吹き返したかに見えた。だが東証ダウは1973(昭和48)年1月高値の5,359.74円をピークに下落に転じると、4月には月足終値で5,000円の大台を割れてしまう。

そしてこの年の10月6日、エジプト・シリア連合軍がイスラエルに奇襲攻撃をかけ、第四次中東戦争が勃発する。

当時の原油価格は1バレル2ドル台だったが、原油の採れないイスラエルを睨んだOPECの値上げ攻勢により、一挙に4倍にまで高騰した。第一次オイルショックである。

中東諸国にとって、原油は欧米に対する駆け引きの切り札となる。しばしば武器として利用される原油相場は、他の商品相場とは違った不健全性を持っている。

この騒動を受けて、日本では物資不足への思惑から、主婦たちがトイレットペーパーを求めてスーパーに駆け込み長蛇の列を作るといった現象がテレビなどで盛んに報じられた。これ自体は根拠に乏しいパニックであったが、その後の狂乱物価と不況を予期するかのごとくであった。

先だって天井をつけていた東証ダウはといえば、中東戦争勃発後もIOSショックやニクソンショックに比べれば冷静な値動きを示したが、12月に入ると一時3958.57円の安値をつける場面があった。結局、4,306.80円でこの年の取引を終え、年初からは約17%の下落となった。

ところでこの頃、それまでほとんど無名の国際経済評論家が「原油は特別の商品ではない。商品相場の波動にしたがって必ず下がります」と断言した。その男はその一言で世に出た。それが長谷川慶太郎氏である。

この人ほど多くを予言し、多くを的中させ、多くを外した人は日本にいない。大当たりするし、大外れする。

例えばバブル景気の最中、日銀の三重野総裁が資産価格の高騰を消費物価のインフレと混同して度を越した金融引締めを反復して日本経済を破壊したが、当時、長谷川氏は「これからは永久にデフレです」と断言していた。彼の「永久」は10年か20年を指す。誰も言わないときにデフレだと警告したのは彼だけだった。

湾岸戦争やイラク戦争も、「たなごころを指すように」開戦から戦闘終結の日時まで正確に当てた。後で本人に聞いたが、阪大工学部出身だけあって、現地のプラントメーカーから天気図をファックスしてもらって砂嵐の予測をし、そこから逆算して戦局を予測したのだという。

大外れは、リーマンショックの淵源となったサブプライム危機の、その1ヶ月前に『世界大規模投資の時代』を著したことだ。

オイルショックは、日本経済の高度成長時代から低成長時代への曲がり角を造った事件であり、大きな歴史的意味があった。そこから我が国は「元総理大臣の逮捕」という未曽有の状況に至るのだが、それに関してはあらためて別稿としたい。

山崎和邦(やまざきかずくに)

山崎和邦

1937年シンガポール生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。野村證券入社後、1974年に同社支店長。退社後、三井ホーム九州支店長に、1990年、常務取締役・兼・三井ホームエンジニアリング社長。2001年同社を退社し、産業能率大学講師、2004年武蔵野学院大学教授。現在同大学大学院特任教授、同大学名誉教授。

大学院教授は世を忍ぶ仮の姿。実態は現職の投資家。投資歴54年、前半は野村證券で投資家の資金を運用、後半は自己資金で金融資産を構築、晩年は現役投資家で且つ「研究者」として大学院で実用経済学を講義。

趣味は狩猟(長野県下伊那郡で1シーズンに鹿、猪を3~5頭)、ゴルフ(オフィシャルHDCP12を30年堅持したが今は18)、居合(古流4段、全日本剣道連盟3段)。一番の趣味は何と言っても金融市場で金融資産を増やすこと。

著書に「投機学入門ー不滅の相場常勝哲学」(講談社文庫)、「投資詐欺」(同)、「株で4倍儲ける本」(中経出版)、近著3刷重版「常識力で勝つ 超正統派株式投資法」(角川学芸出版)等。

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