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1960~70年代マーケットの重大事件を振り返る――IOSショック、ニクソンショック、オイルショック

いざなぎ景気終焉の前兆となった「IOSショック」 東証ダウは-8.69%の大暴落

1965(昭和40)年の山一証券第一次破綻後、佐藤栄作内閣は思い切った財政出動によるインフラ整備をぶちあげて景気を引き上げた。

それが、1965(昭和40)年10月~1970(昭和45)年7月まで、史上最長の57ヶ月におよぶ「いざなぎ景気」を作出した。

現在の安倍内閣でいう「第2の矢・機動的な財政政策」である。

当時の経済企画庁は、当世一級の官庁エコノミストの巣窟であった。その前身は第二次大戦直後の1946(昭和21)年に設置された「経済安定本部」であり、全官庁の上に君臨し「アンポン」と呼ばれた最高権威、経企庁はその直流となる。

現在でも、経企庁退官者は概ね必ずと言っていいほど民間総研の幹部となる。あるいは大学教授として教鞭を執る例も実に多いが、景気循環の各波動に対して愛称をつけたのが、他ならぬこの経企庁である。

最初は、朝鮮戦争の漁夫の利を拾いまくって急成長した1954(昭和29)年末からの特需を、日本初代天皇とされる神武天皇以来の好景気だということで「神武景気」とした。

次に、1958(昭和33)年からの景気拡大局面では、これは神武景気をしのぐ好景気ということで、さらに神話をさかのぼって「天照大神が天の岩戸に隠れて以来の好景気」の意味を込めて「岩戸景気」と命名した。

そして、1965(昭和40)年10月~1970(昭和45)年7月まで、史上最長の57ヶ月におよぶ好景気を、日本神話の中で最も古い「いざなぎのみこと」以来の好景気という意味で「いざなぎ景気」と命名する。

これは平成になってからも「いざなぎ超えは可能か?」などと頻繁に使われ、標準語として定着している。

この「いざなぎ景気」終焉のシグナルとなったのが、1970(昭和45)年春の「IOSショック」である。

IOS(Investors Overseas Services)はスイスを拠点とし、“怪物”バーニー・コーンフェルド氏が率いる、当時として世界最大のファンド・オブ・ファンズ(各種投信を集めた投信)だった。このIOS破綻の噂がマーケットを駆け巡ったのである。

当時の大蔵省はファンド・オブ・ファンズの国内上陸を認めていなかったが、日本市場は、IOS絡みでの日本株投げ売りを警戒し疑心暗鬼となった。

かくして1970年4月30日、この日の東証ダウ終値は2,114.32円。前日比-201.11円安(-8.69%)の大暴落を演じることとなった。

その時、野村の紀州和歌山支店で株式責任者を務めていた私は、まさかこれが景気終焉のシグナルになるとは夢にも思わなかったものである。

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